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スウェーデンの国王 ウィキペディアから
カール16世グスタフ(スウェーデン語: Carl XVI Gustaf、カール・グスタフ・フォルケ・フーベルトゥス・ベルナドッテ、スウェーデン語: Carl Gustaf Folke Hubertus Bernadotte、1946年4月30日 - )は、ベルナドッテ王朝第7代のスウェーデン国王(在位:1973年9月15日 - )。
カール16世グスタフ Carl XVI Gustaf | |
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スウェーデン国王 | |
カール16世グスタフ(2023年) | |
在位 | 1973年9月15日 - 在位中 |
即位式 |
1973年9月19日 於 ストックホルム宮殿 |
首相 |
|
全名 |
Carl Gustaf Folke Hubertus カール・グスタフ・フォルケ・フーベルトゥス |
出生 |
1946年4月30日(78歳) スウェーデン、ストックホルム近郊ソルナ、ハーガ宮殿 |
配偶者 | シルヴィア・ソマラート |
子女 |
ヴィクトリア カール・フィリップ マデレーン |
王朝 | ベルナドッテ王朝 |
父親 | グスタフ・アドルフ・アヴ・スヴェーリエ |
母親 | シビラ・アヴ・サクセン=コーボリ=ゴータ |
宗教 | キリスト教スウェーデン国教会 |
サイン |
スウェーデン前国王グスタフ6世アドルフの長男グスタフ・アドルフと、ザクセン=コーブルク=ゴータ公カール・エドゥアルトの娘シビラの第五子(長男)として誕生した。
1946年6月7日に王立教会でウプサラ大司教であるアーリン・エイデムによって洗礼を受け、「イェムトランド公」の称号を与えられ、デンマーク王太子夫妻、ノルウェー王太子オーラヴ、オランダ王太子ユリアナ、国王グスタフ5世、フリードリヒ・ヨシアス、王太子夫妻、フォルケ・ベルナドッテ、マリア・ベルナドッテが代父母となった。
1947年1月26日、父グスタフ・アドルフが飛行機事故で薨去したため、祖父に次いで王位継承権第2位となった。1950年にグスタフ6世アドルフが高齢で国王に即位した時、王位継承権者であるカール・グスタフはまだ4歳の幼児だった為、グスタフ6世アドルフを最後に君主制を廃止することが議会で議論された。しかし共和制への移行は否決され、正式にカール・グスタフが王太孫となる事が決まった。
高校卒業後は、スウェーデン軍において2年半にわたって教育を受け、1968年にスウェーデン陸海空軍大尉に任官された。その後は、ウプサラ大学とストックホルム大学において、歴史学、社会学、政治学、税法を学んだ。
大学での教育を修了した後は、将来の国王としての役割を果たす事に備える為、裁判所制度や社会団体、労働組合、業界団体など幅広い分野への研究に従事し、特に議会や行政、外交に関する研究には非常に熱心に取り組んでいた。
他にも、国際連合や国際開発協力庁におけるスウェーデン代表の一員として過ごしたほか、ロンドンでは銀行やスウェーデン大使館、フランスでは自国の商工会議所やアルファ・ラバルの現地法人の工場などで体験就労を行った。
1973年9月15日に祖父の後を継いで国王となり、4日後の9月19日にストックホルムの王宮で即位式が執り行われた。翌年のスウェーデン憲法改正ですべての統治権力を喪失し、儀礼的な国家元首の地位となった。
2010年11月、カール・グスタフが不倫や性風俗店に出入りしていたとする内容の暴露本“Carl XVI Gustaf – Den motvillige monarken”(カール16世グスタフ-嫌らしい君主)が出版され騒動となったが、プライバシー重視の国柄もあって騒ぎは一段落していた[1]。
しかし2011年5月、証拠とされる裸の女性2人と一緒に撮影した写真をユーゴスラビア出身のギャング・ミレ・マルコヴィッチを仲介して買い取ろうとしたことが発覚してスキャンダルが再燃。カール・グスタフ本人は、性風俗店への出入りともみ消し工作への関与を否定し、「退位するつもりはない」と表明した。これにより、地元メディアでは「国王の信頼は失墜した」として退位を求める論調を出し[2][1]、2011年半ばによる世論調査ではスキャンダル再燃前と比較して国王支持派は64%から44%に減少した[3]。
2011年12月、スウェーデンの大衆紙・エクスプレッセン[4]が、証拠とされる写真は1976年にシルヴィア王妃とともにテレビ番組に出演する国王の画像[5]から盗用し性風俗店内の裸の女性の写真にデジタル修正を施した[6]と証明し、マルコヴィッチは以前にもセレブを強請するためにこれと似た行為[注釈 1]をした事がある[7]と報じた。
2021年、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、コロナワクチンの接種を3回(ブースターショットも含む)受けたが、2022年1月、シルビア王妃とともにコロナウイルスに感染して発症。王室は感染に関して「夫妻の症状は軽微で、健康状態は良い」と発表している[9]。
即位前年の1972年、ミュンヘンオリンピック観戦の際、現地でカール・グスタフ王太孫の世話を担当したのがジルフィア・ゾマラート(母方はブラジル人)、すなわちシルヴィア王妃だった。これをきっかけに交際が始まったが、当初は年上でドイツ人の一般市民ということもあり、結婚にこぎつけるのは大変なことであった。 1976年3月12日に婚約を発表[17]、3か月後の6月19日に2人は晴れて結婚する事となった。この日の披露宴では、スウェーデンを代表するポップ・グループ“ABBA”のメンバーも参列し、新曲だった『ダンシング・クイーン』を初演奏した。この曲は翌年、世界的な大ヒット曲となる。
1982年には、公邸をストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿に移し、それまで住んでいたストックホルム宮殿は公務の場とする事となった。
また夫妻は、次の1男2女をもうけた。
1980年1月1日からは、長子相続制に基づいて、ヨーロッパでは初めて男女にかかわらず最初に出生した子供に法定推定相続人の権利が与えられることとなり、2019年現在の王位継承順位第1位は長女のヴィクトリア王太子であり、1979年12月31日まで王太子であった長男のカール・フィリップ王子は第4位となった(第2位・第3位はそれぞれヴィクトリア王太子の子であるエステル王女とオスカル王子)。
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