アルミ・クーセラ
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アルミ・クーセラ(Armi Helena Kuusela、1934年8月20日 - )は、フィンランドのモデル・慈善活動家。1952年、初代ミス・ユニバースに選ばれる[1]。
父Aarne Aleksander Kuusela(1902年9月12日 - 1969年12月7日)と母Martta Elisabeth Kyrö(1903年4月3日 – 1963年11月21日)はカナダのオンタリオ州で出会い、後にそこで結婚、一子を儲ける。カナダで数年暮らしたのち帰国、ムホスに居住。母は5人の女の子と1人の男の子を生むが、彼女は第4子である[2]。
ムホスで中学校を出ると、ポルヴォーの女子高に入学(1951年)。水泳、スキー、体操を好んだ[3]。アビトゥーアを取得するとヘルシンキ大学体育学部出願。
1952年5月24日、フィンランドの全国規模のミスコン「スオミネイト」で優勝。賞品としてチョコレートの箱、金のバングル、そしてスポンサーのパンナムから往復の航空券が授与された。1952年6月28日、ロングビーチ (カリフォルニア州)で開催されたミス・ユニバース1952(第1回ミス・ユニバース世界大会)に出場、初代ミス・ユニバースに選ばれる。
1953年、Maailman kaunein tyttö[4]というフィンランド映画に出演(監督:Veikko Itkonen, 脚本:Mika Waltari)[5]。
1953年2月22日、ミスとしての活動中、フィリピンのビジネスマンVirgilio Hilario と出会う。
1953年5月4日、熱烈な求愛の末、ミスの王冠を投げ捨てて東京にいたヒラリオと結婚[6]。このエピソードはNow and Foreverというフィリピン映画で取り上げられ、本人ら出演で公開された[5][7]。ハネムーンでハワイ諸島・米本土・ヨーロッパを巡り、マニラに居を構える。フィリピンで5人の子を産む[8]。
1978年、アメリカの外交官アルバート・ウィリアムズ(Albert Williams)と再婚。スペイン・バルセロナ、トルコ・イズミールを経て2011年現在カリフォルニア州サンディエゴ市ラホヤ在住[9]。
1997年、フィンランドの短編ドキュメンタリー映画Nyrkin ja hellan välissäに出演[5]。
2012年、フィンランド白薔薇勲章を授与される[10]。
2014年、市役所の地方自治担当者と会見するためムホスを訪問。2014年現在も慈善事業を含むコミュニティー活動に積極的に参加し、Sanford Burnham Prebys Medical Discovery Instituteのがん研究にも関与している[11]。
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