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日本の国文学者、作詞家 ウィキペディアから
高野 辰之(たかの たつゆき、1876年〈明治9年〉4月14日 - 1947年〈昭和22年〉1月25日)は、日本の国文学者、作詞家。文学博士(東京帝国大学・論文博士・1925年)(学位論文「日本歌謡史」)。号は斑山(はんざん)。
1876年、長野県水内郡永江村(現中野市永江)の豪農の家に生まれた[1]。1887年、豊津学校永江支校小学中等科を卒業。1890年3月、下水内高等小学校高等小学科を卒業。
1890年5月、永田尋常小学校授業生(代用教員)となった。しかし3年後の1893年、長野県尋常師範学校に入学。1897年3月には同師範学校を卒業した。1897年4月からは下水内高等小学校訓導となった。1898年6月、国語科の師範学校・尋常中学校・高等女学校教員免許状を取得。
1898年9月に上京。東京帝国大学の国語研究室で上田萬年に師事、国文学を学んだ。
国文学者としては、「国文学史」教科書、「近松門左衛門全集」、『日本歌謡史』、浄瑠璃史、日本演劇史などの業績がある[3]。帝国学士院賞受賞[4]。同県下高井郡豊郷村野沢温泉で没する[1]。
文部省編尋常小学唱歌は当初、作詞・作曲者が伏せられていたが、近年の研究により、以下のような唱歌の作詞者であることが広く知られるようになっている[5][6]。特筆しない限り唱歌の作曲は岡野貞一による。
その他、100校近い学校の校歌の作詞を手掛けた。
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