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江戸時代中期の地理学者、漢学者 ウィキペディアから
長久保 赤水(ながくぼ せきすい、本名:玄珠(はるたか[1])は江戸時代中期の地理学者、儒学者、『改正日本輿地路程全図』(通称「赤水図」)を作成したことで知られる。常陸国多賀郡赤浜村(現在の茨城県高萩市)出身。俗名は源五兵衛(げんごべえ)、号の赤水と字の玄珠は荘子の天地篇にある「黄帝、赤水の北に遊び、崑崙の丘に登り、而して南望して還帰し、其の玄珠を遺せり。」から取られている[要出典]。別名は藤八 (とうはち)[注釈 1][1]。
茨城県は価値の高い学術資料として、2017年(平成29年)1月26日に「長久保赤水関係資料693点」を有形文化財に定める[2]。2020年(令和2年)9月30日、長久保の地図や資料群107点は史料として学術的価値が認められ、国の重要文化財に指定された[2]。高萩市歴史民俗資料館が管理する[3]。
農民出身であるが、遠祖の大友親頼の三男・長久保親政は、現在の静岡県駿東郡長泉町を領して長久保城主となり、長久保氏を称したとされる。
学問を好み地理学に傾注する。14歳(1730年(享保15年))の頃から近郷の医師で漢学者の鈴木玄淳の塾に通い、壮年期に至るまで漢学や漢詩などを学んだ。17歳(1733年(享保18年))には江戸に遊学、服部南郭に学んでいる。25歳(1741年(寛保元年))の頃、鈴木玄淳らとともに水戸藩の儒学者で彰考館総裁を務めた名越南渓に師事し、朱子学・#漢詩・天文地理などの研鑽を積んだ[5]。また、地図製作に必要な天文学については、名越南渓の紹介により渋川春海の門下で水戸藩の天文家であった小池友賢に指導を受けた。
明和5年(1768年)『改製日本分里図』(かいせいにほんぶんりず)完成。安永4年(1775年)3月『新刻日本輿地路程全図』(しんこくにほんよちろていぜんず)が完成。更に、安永8年(1779年)、『改正日本輿地路程全図』(通称「赤水図」)が完成、翌9年に大坂で出版された。赤水生存中に2版、没後3版、修正を重ね発行されている。それ以前に約90年流布していた石川流宣の日本図「流宣図」と入れ替わることになった[6]。
安永6年(1777年)赤水61歳の時、水戸藩主徳川治保の侍講となり、藩政改革のための建白書の上書などを行った。天明3年(1783年)清国地図『大清広輿図』が完成、天明5年(1785年)には世界地図『改正地球万国全図』が完成した。いずれも実測図ではないが関連文献が深く考証され、『改正日本輿地路程全図』に至っては5版を重ね約1世紀間も普及している。
天明6年(1786年)、徳川光圀が編纂を始めた『大日本史』の地理志の執筆も行う。師である鈴木玄淳らとともに、中国の竹林の七賢になぞらえ、松岡七賢人と称される。
農業政策の視点から赤水図の特徴には農村の記録として水戸藩の行政を知る手がかりとなる点、地図製作の過程を読み取ることができる点[7]が挙げられる[2]。地図以外の文化財資料は、緯度経度を線分として地図に取り入れるため天文学を究めようとした功績と、水戸藩の役人と同時代のさまざまな知識人との交流を伝える[2]。
政府が国家機密として模写を厳しく管理し[注釈 2]一般人に使わせなかった伊能図[8]に対し、長久保の『改正日本輿地路程全図』は印刷物として流通し、伊能や吉田松陰のほか人々が「赤水図」と呼んで江戸末期まで実用した[8]。
長久保の『改正日本輿地路程全図』、伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』には、竹島が当時の名称「松島」で記してあり[9]、日本では日本領有を裏付ける資料としてしばしば引用されている[要出典]。
長久保赤水は江戸時代中期頃の地図考証家・森幸安によって描かれた『日本分野図』を参考に、明和5年(1768年)に原図となる「改製日本分里図」を作り、安永8年(1779年)には『改正日本輿地路程全図』の初版を完成。翌年、大坂で出版した。赤水の存命中の寛永3年(1791年)に第2版が刊行され、赤水の死後も1811年、1833年、1840年に版を重ねている[9]。
『幸安図』にも『赤水図』にも、当時未開拓であった北海道は一部しか描かれていない。また、経線緯線が記載されているが経線には経度が記載されていない。『幸安図』や後に作成される伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』も、京都を基準に経線が引かれている点で共通点が見られる。10里を1寸としているので、縮尺は約129万分の1となる。8色刷の色刷りで、蝦夷(現在の北海道)や小笠原諸島・沖縄を除く日本全土を示す[13]。
『改正日本輿地路程全図』は、伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』より42年前に出版され、明治初期までの約100年間に5版を数えた。伊能の地図はきわめて正確であったが、江戸幕府により厳重に管理されたこともあって、この赤水図が明治初年まで一般に広く使われた。沿岸部のほとんど全てを測量した伊能の地図には劣るが、20年以上にわたる考証の末に完成した地図は、出版当時としては驚異的な正確さであった[疑問点]。
赤水図は広く普及したためドイツ国立民族博物館のシーボルト・コレクションや、イギリス議会図書館を含む世界6か国の博物館などで44枚収蔵されていることが確認されており当時の欧米において日本を知る資料として活用されていたことが伺われる[要出典]。
本文の典拠。主な執筆者、編者の順。
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