西海町 (愛媛県)
日本の愛媛県南宇和郡にあった町 ウィキペディアから
日本の愛媛県南宇和郡にあった町 ウィキペディアから
西海町(にしうみちょう)は、かつて愛媛県の南予地方にあった町である。
2004年の南宇和郡全体での平成の合併により愛南町となり、自治体としての地方自治体としての西海町は消滅した。
昭和50年代には人口が5,000人を超えていたが交通条件等に恵まれず、合併前には3,000人台へと過疎が進んでいた。
1952年(昭和27年)の町制施行の際に、公募、公聴会を開催したところ「西海町」が多数の支持を得たことから命名。それ以前のことは「歴史」の項参照。
古代 - 中世
五輪塔が残っていることから中世には当地に人が住み着いていたことが推察されるが、年代は定かでない。豊後水道に面し突き出した地形で、また舟隠しにも適していることから、中世から水軍の砦として利用されていたともみられるが、伊予国に属していたか土佐国に属していたか明確な史料はない。
藩政期
明治以降
西海町の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 昭和27年10月1日町制施行 西外海浦━━━━━━━西外海村━━━━━━西海町━━━━━━━━━━━┓ 内海村━━━━━━━━━━━┫平成16年10月1日 御荘町━━━━━━━━━━━┫ 新設合併 城辺町━━━━━━━━━━━╋━愛南町 一本松町━━━━━━━━━━┛ (注記)内海村他の合併以前の系譜はそれぞれの町村の記事を参照のこと。
主力産業は水産業。古くは、鰹・鮪漁、あるいは沿岸での一本釣り漁で生計を立てていたが、養殖技術が導入され、養殖に移っていった。湾内では魚類の養殖が盛んで、ハマチ、鯛等の養殖が行われている。養殖筏の並ぶ光景は、既に漁村景観の一部ともなりなじんでいる。西海の養殖業は、企業的な体質があり、漁業協同組合への依存は少ないのが特徴である。
なお、現在でも一本釣りは健在である。付近の海域は好漁場として知られ、多くの釣り客が四国外からも訪れる。一方ではそうした「遊漁」との共存、資源管理、海洋環境保全が課題となっている。
農業は、経営耕地面積ゼロ(2000年)であるように、「業」であるか疑問な状況である。山がすとんと海に落ち込むような地形で平地がほとんどなく、住居の周りのわずかな畑でウコン、イモ類等が自給自足的に営まれている程度で、米・野菜等の大半は他地域に依存している。僅かな自家菜園にも、サルやイノシシの被害があるという。
その他の産業としての観光は後述。
町内に高等学校はない。愛媛県立南宇和高等学校のある御荘・城辺まで出る必要がある。
国道56号から西海有料道路(現在は無料開放)を経由するのが一番の近道。 他に、下記の県道のほか、旧御荘町中浦方面からも狭隘ながら自動車の通れる道路がある。
薫楠集(川柳)川崎百楠
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.