荘公贖
ウィキペディアから
ウィキペディアから
荘公 贖(そうこう しょく、? - 紀元前731年)は、斉の第12代君主。荘公というのは諡で、贖は諱である。原文では荘公購と表記されるが、購(こう)は贖(しょく)の誤りとされている[1]。前荘公とも作られ、彼の後裔に後にもう一人荘公を諡とする君主がいる(→荘公光)。
成公の子として生まれる。
成公9年(前795年)、成公が薨去したため、子の贖が立って斉君となった[2](以降は「荘公」と表記する)。
『史記』には成公在位中の記事として、以下の2つの出来事を記す。荘公24年(前771年)、周の幽王が犬戎(けんじゅう)[3]に殺され、周は都を東の雒(らく)[4]に遷した[2]。荘公24年(前739年)に晋の昭侯が臣下に殺害された[2]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.