紀元前550年代
紀元前530年代
- 紀元前539年 - オピスの戦いでペルシアのキュロス2世が新バビロニアのナボニドゥスを破る。
- 続いてナボニドゥスの王子ベルシャザルが支配する首都バビロン占領し新バビロニア王国を滅ぼす。
- 同年にキュロス2世はイランのスシアナ地方にあったエラム王国を滅ぼし、スサを占領する。
- 紀元前538年
- ペルシアのキュロス2世がヘブライ人のエルサレム帰還と神殿の再建を許可する。
- ポリュクラテスがサモスの僭主となる。
- 紀元前536年 - 鄭の宰相子産が中国で最初の成文法を作る。
- 紀元前535年頃 - ケルト系サルウィイ族(英語版)によりギリシア系植民市テリネが占領され、アレラーテ(現アルル)と名付けられる。
- 紀元前534年 - アテナイのディオニューシア祭でテスピスによる最古のギリシア悲劇が演じられる。
- 紀元前530年頃
- 紀元前530年頃 - 紀元前510年頃
紀元前520年代
- 紀元前529年 - ペルシアのキュロス2世がトミュリス女王率いるマッサゲタイ人との戦いで戦死。カンビュセス2世が後継の王となる。
- 紀元前527年 - アテナイの僭主ペイシストラトスが死去、長子ヒッピアスが僭主となる。
- 紀元前525年 - ペルシアのカンビュセス2世がペルシウムの戦い(英語版)に勝利してエジプトを占領。
- 紀元前522年 - ペルシアのカンビュセス2世死去。簒奪者ガウマタ(または王弟スメルディス)を倒しダレイオス1世が即位。
- 紀元前520年 - ペルシアのダレイオス1世がペルセポリスの造営に着手。
- 紀元前520年 - 紀元前500年頃
- トルコのチャナッカレ州ビガ近郊の古墳にて出土した「ポリュクセネーの石棺(英語版)」はこの時代のもの。
紀元前510年代
- 紀元前518年 - ペルシアのダレイオス1世がタキシラを含むガンダーラ地方を征服する。
- 紀元前517年頃 - ギリシア語著作家ミレトスのヘカタイオスによる「ケルト人」についての最初の言及。
- 紀元前516年 - エルサレムの第二神殿が完成する。
- 紀元前514年 - ペイシストラトスの次子ヒッパルコス(政治家)(英語版)が殺害される。
- 紀元前510年
- 紀元前510年頃
- エトルリア人彫刻家ウルカ(英語版)により「ウェイイのアポロン像(英語版)」が作られる( - 紀元前500年頃)。
- タルクィニア地下墳墓群の「軽業師の墓(フランス語版)」の壁画が描かれる。
中国(周・春秋時代)
- 荘王(? - 前591年) - 春秋時代の楚の王(在位前614年 - 前591年)・春秋五覇の1人・邲の戦いで勝利
- 孫叔敖(生没年不詳) - 春秋時代の楚の政治家(令尹)・荘王に仕えて楚の富国強兵を成し遂げ荘王に天下の覇権を握らせた
- 巫臣(生没年不詳) - 春秋時代の楚の政治家・荘王に仕えるがその没後は夏姫を伴い晋に亡命・宰相となり呉と国交を結ぶ
- 景公(? - 前581年) - 春秋時代の晋の君主(在位前600年 - 前581年)・邲の戦いでは楚に敗北
- 荀林父(生没年不詳) - 春秋時代の晋の政治家・将軍・正卿(宰相)・中行氏の祖・邲の戦いでは敗北するが鄭を屈服させる
- 士会(生没年不詳) - 春秋時代の晋の政治家・将軍・范氏の祖・邲の戦いでは敗北するが復権し「范武子の法」を定める
- 韓厥(生没年不詳) - 春秋時代の晋の政治家・将軍・邲の戦いでは敗北・屠岸賈を倒し趙家再興を働きかけたことでも有名
- 郤克(生没年不詳) - 春秋時代の晋の政治家・将軍・正卿・邲の戦いでは楚に敗北するが鞍の戦いでは斉を撃破する
- 欒書(? - 前573年) - 春秋時代の晋の政治家・将軍・鄢陵の戦いで勝利・後に晋の厲公を殺害し悼公を擁立
- 共王(? - 前560年) - 春秋時代の楚の王(在位前591年 - 前560年)・眼を射られ鄢陵の戦いで敗北する
- 悼公(前587年 - 前559年) - 春秋時代の晋の君主(在位前573年 - 前559年)・鄢陵の戦い以後の晋の覇権を保持
- 中行偃(? - 前554年) - 春秋時代の晋の政治家・将軍・欒書とともに厲公を殺害・斉の討伐でも活躍
- 崔杼(? - 前546年) - 春秋時代の斉の政治家・荘公を殺害し景公を擁立・「崔杼弑君」の記事でも有名
- 苗賁皇(生没年不詳) - 春秋時代の晋の政治家・楚からの亡命者・鄢陵の戦いでは晋の軍師として楚を撃破する
- 趙武(前598年 - 前541年) - 春秋時代の晋の政治家・「趙氏孤児」のモデルで屠岸賈を倒し正卿となる・弭兵の会を開く
- 羊舌肸(生没年不詳) - 春秋時代の晋の政治家・平公を支え晋の勢力を維持・晏嬰や子産と交流があった
- 華元(生没年不詳) - 春秋時代の宋の政治家・商丘攻防戦で宋を死守・晋と楚の和平を取り持つ
- 向戌(生没年不詳) - 春秋時代の宋の政治家・華元の後を継いで右師となり晋と楚を取り持ち弭兵の会を開く
- 王子喬(生没年不詳) - 春秋時代の東周霊王の太子(晋)・父王に諫言して王位を断念・後年は仙人になったという
- 子産(? - 前522年) - 春秋時代の鄭の政治家・鄭の政治改革を進め中国最初の成文法を制定
- 晏嬰(? - 前500年) - 春秋時代の斉の政治家・崔杼らの政変を避けて斉を支える
- 司馬穰苴(生没年不詳) - 春秋時代の斉の将軍・晏嬰に推薦され任官される・兵法書『司馬法』の著者
- 季札(生没年不詳) - 春秋時代の呉の政治家・呉王寿夢の少子「延陵の季子」として知られ晏嬰や子産と交わる
- 闔閭(? - 前496年) - 春秋時代の呉の王(在位前514年 - 前496年)・春秋五覇の1人
- 孔子(前551年 - 前479年) - 春秋時代の魯の思想家(儒家)
- 紀元前6世紀 - 古代ギリシアで女流詩人として名高いサッフォーと同時期に、別の女流詩人ビリティスがいた。その146歌の散文詩が19世紀末に発見されて、ギリシャ学者ピエール・ルイスによってフランス語訳され、ドビュッシーもこの詩に曲をつけることになった(ピエール・ルイスの擬似翻訳「ビリティスの歌」)。
- 紀元前525年以降 - エジプトを征服したペルシア王カンビュセス2世はさらにエチオピアに大軍を派遣するが、困難極まる旅程で程なく食糧は尽き、兵士たちは籤を引いて食糧となる人物を選ばざるを得なくなる。折悪しく籤で引いて犠牲者となることが確定した兵士サルタはそのまま逃亡し、不毛の砂漠を駆け抜けた。その先には謎の少女エステルが待ち受けていた(藤子・F・不二雄『カンビュセスの籤』)。
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