バビロニアの陥落については異なる記述が残っている。キュロスの円筒形碑文によれば、バビロンの住民はキュロスのために門を開き、解放者として歓迎した、としている。イザヤ書第40章〜第55章では、ペルシア軍がバビロニアの女性たちと神像を略奪するであろうと預言している。ヘロドトスはキュロスがバビロニア人を街の外で打ち負かし、その後、包囲戦が始まったとしている。包囲戦が長引くと、キュロスはユーフラテス川を迂回させ、部隊が河床から街の中へ侵入できるようにした(以上、ヘロドトスによる)
[16]。
クセノフォンは同様の見方をしているが、彼は戦いには言及していない。
[17]ベロッソス(紀元前3世紀の著述家)は、キュロスがバビロニア軍を打ち破ったのだが、このとき、ナボニドゥスは近くのボルシッパへ逃れたのであろうと主張している。ナボニドゥスはそこに隠れ、その間にキュロスがバビロンを占領し、その外壁を破壊した。キュロスがボルシッパに向かうと、ナボニドゥスはすぐに投降した。
[18]
これらの記述(例えばキュロスの円筒形碑文とイザヤ書。後者についてはCyrus in the Judeo-Christian traditionを参照)、伝承(ヘロドトスとクセノフォン)、記録(ベロッソス)は互いに矛盾するため、非常に混乱させられる。ナボニドゥスの年代誌はもっと有益である。ナボニドゥスの年代誌はバビロニア年代誌の一部であり、歴史的出来事を正確に、事実に基づいて記述している。そのため、情報量は限られるが非常に信頼できると考えられている。キュロスによるバビロンの占領に関しては、この文書は以下のように記している:
See for example in W. von Soden, “Kyros und Nabonid: Propaganda und Gegenpropaganda”, in H. Koch and D.N. MacKenzie (eds.), Kunst, Kultur und Geschichte der Achämenidenzeit und ihr Fortleben (Berlin: Dietrich Reimer 1983), 61-8; P.-A. Beaulieu, The reign of Nabonidus king of Babylon 556-539 B.C. (New Haven CT: Yale University Press 1989); A. Kuhrt, “Nabonidus and the Babylonian priesthood”, in M. Beard and J. North (eds.), Pagan priests: Religion and power in the ancient world (London: Duckworth), 117-55; F. Grant, “Nabonidus, Nabû-šarra-uṣur, and the Eanna temple”, in Zeitschrift für Assyriologie 81 (1991:37-86); T.G. Lee, “The jasper cylinder seal of Aššurbanipal and Nabonidus’ making of Sîn’s statue”, in Revue d’Assyriologie 87 (1993:131-6); P. Machinist and H. Tadmor, “Heavenly wisdom”, in M.E. Cohen, D.C. Snell and D.B. Weisberg (eds.), The tablet and the scroll: Near Eastern studies in honour of William W. Hallo (Bethesda MD: CDL Press 1993), 146-51; H. Schaudig, Die Inschriften Nabonids von Babylon und Kyros’ des Großen samt den in ihrem Umfeld entstandenen Tendezschriften: Textausgabe und Grammatik (Münster: Ugarit-Verlag 2001); P.-A. Beaulieu, “Nabonidus the mad king: A reconsideration of his steles from Harran and Babylon”, in M. Heinz and M.H. Feldman (eds.), Representations of political power: Case histories from times of change and dissolving order in the ancient Near East (Winona Lake IN: Eisenbrauns 2007), 137-66.
(例えば、「キュロスとナボニドゥス:プロパガンダと反プロパガンダ」(W. フォン・ゾデン(著)、『アケメネス朝時代の芸術、文化および歴史』(H. コッホ、D.N. マッケンジー(編))、ディートリヒ・ライマー(ベルリン)、1983年、pp. 61 - 68) ; 『バビロンの王ナボニドゥスの治世 紀元前556 - 539年』(ポール・アレン・ボーリュー、イェール大学出版、1989年) ; 『多神教徒の祭司たち:古代世界における宗教と権力』の中の「ナボニドゥスとバビロニアの祭司団」pp. 117 - 155(メアリー・ビアード(著)、ジョーン・ノース(編)、書籍中のこの記事の著者はアミリー・クアート) ; 『ナボニドゥスとエアンナ神殿』 (F.グラント(著)、Zeitschrift für Assyriologie 81 (1991:37-86)) ; 『アッシュールバニパルの碧玉の円筒印章とナボニドゥスのシンの神像』(トーマス・G・リー(著)、Revue d’Assyriologie 第87号、1993年 pp. 131 - 136) ; 『粘土板と巻物-近東の研究 ウィリアム・W・ハロー博士に敬意を表して』収録の「すばらしい知恵」(P.マチニスト、H.タッドモア(1993年)、メリーランド大学出版(CDL Press)) ; 『バビロンのナボニドゥスとキュロス大王、それぞれの碑文と、その周囲に描かれた巻きひげ:文書と文法』(ハンスペッター・シャウディグ、ウガリット出版(ドイツ・ミュンスター)、2001年) ; 『政治権力の表現:古代近東における変化の時代と溶解する秩序の中の個人史』(マーリーズ・ハインツ、マリアン・H・フレッドマン(編)、アイゼンブラウン社(米国)、2007年)のpp. 137 - 166収録の『ナボニドゥス-狂気の王:ハランとバビロンの石柱の再考』(ポール・アレン・ボーリュー(著))
W. Mayer, "Nabonidus Herkunft", in M. Dietrich and O. Loretz (eds.), Dubsar anta-men: Studien zur Altorientalistik (Munster: Ugarit-Verlag 1998), 245-61
(『筆記者:古代近東史の研究』(編:マンフィールド・ディートリッヒ、オスワルド・ロレッツ、ウガリット出版(ドイツ・ミュンスター)、1998年、p.245-261)に収録されている『ナボニドゥスの祖先』(著:ウォルター・メイヤー)。なお、「Dubsar anta-men」の、anta-menの部分のみ、翻訳保留中。Dubsarは、シュメール語で「筆記者」の意味。)
Parpola, Simo (2004). "National and Ethnic Identity in the Neo-Assyrian Empire and Assyrian Identity in Post-Empire Times". Journal of Assyrian Academic Studies (JAAS) 18 (2): pp. 19. Similarly: Parpola, Simo. "Assyrians after Assyria". University of Helsinki, The Neo-Assyrian Text Corpus Project (State Archives of Assyria).
(シモ・パラポラ(フィンランドの考古学者)の学術論文 『新アッシリア帝国における国家・民族アイデンティティと帝国終焉後の時代におけるアッシリア人のアイデンティティ』(アッシリア学術研究誌 2004年 第18巻第2号 第19段落より。同様に、シモ・パラポラ『アッシリア帝国後のアッシリア人』(ヘルシンキ大学、新アッシリア文書全集プロジェクト(アッシリア公文書)より))
A. Kuhrt, "'Ex oriente lux': How we may widen our perspectives on ancient history", in R. Rollinger, A. Luther and J. Wiesehofer (eds.), Getrennte Wege? Kommunikation, Raum und Wahrnehmung in der alten Welt (Frankfurt am Main: Verlag Antike 2007), 617-32.
(『別の手法:古代世界におけるコミュニケーション、空間、知覚』(編:ロバート・ローリンジャー、アンドレアス・ルーサー、ジョセフ・ヴィーゼヘーファー、アンティーク出版(ドイツ、フランクフルト市)、2007年)p.617-632に収録されている『“東から昇る光” いかにして古代史への視野を広げるか』(著:アミリー・クアート))
Beaulieu 1989:46-65; Machinist/Tadmor 1993.
(ポール・アレン・ボーリュー 1989年(著作は不明、46〜65ページ?)/(おそらくは)P.マチニスト、H.タッドモア(1993年)“The tablet and the scroll. Near Eastern studies in honor of William W. Hallo.”「粘土板と巻物-近東の研究 ウィリアム・W・ハロー博士に敬意を表して」収録の“Heavenly wisdom”「すばらしい知恵」)
P.-A. Beaulieu, "An episode in the fall of Babylon to the Persians", Journal of Near Eastern Studies 52 (1993:241-61)
(ポール・アレン・ボーリュー 『ペルシアによるバビロン陥落のエピソード』(近東研究誌 第52巻、1993年 p.241〜261))
Beaulieu 1993; A. Kuhrt, "The Cyrus cylinder and Achaemenid imperial policy", Journal for the Study of the Old Testament 25 (1983:83-97)
(ポール・アレン・ボーリュー 1993年 ; 『キュロスの円筒形碑文とアケメネス朝の帝国政策』(アミリー・クアート、『旧約聖書の研究誌 第25巻』1983年 p.83〜97に収録))
Beaulieu 1989:149-205. On Tayma's importance for trade: C. Edens and G. Bawden, "History of Tayma' and Hejazi trade during the first millennium B.C.", Journal of the Economic and Social History of the Orient 32 (1989:48-103).
(『タイマの交易上の重要性』(ボーリュー、1989年) ; 『紀元前一千年紀におけるタイマ及びヒジャーズ(地方)の貿易の歴史』(クリストファー・エデン及びガース・ボーデン共著、「オリエントの経済史・社会史研究誌」第32巻、1989年))
An overview of the history of Tayma, current archaeological work, as well as bibliographical references, are given in "Deutsches Archaologisches Institut: Tayma". Retrieved 2007-10-16. Also: H. Hayajneh, "First evidence of Nabonidus in the Ancient North Arabian inscriptions from the region of Tayma", Proceedings of the Seminar for Arabian Studies 31 (2001:81-95).
(タイマの歴史の概観、現在の考古学の成果、書誌学の参考文献は『ドイツ考古学研究所:タイマ』2007年10月16日再版(?)で得られる。または、『古代北アラビア、タイマ地方の碑文におけるナボニドゥスの最初の証言』 (ハニ・ハヤネ(ヨルダンのヤルムーク大学の学者)著、アラビア研究セミナー会報第31号、2001年))
P. Briant, From Cyrus to Alexander: A history of the Persian Empire (Winona Lake IN: Eisenbrauns 2002), 50-5, 80-7; Gauthier Tolini, "Quelques elements concernant la prise de Babylon par Cyrus (octobre 539 av. J.-C.)", Arta (2005/03); A. Kuhrt, "Ancient Near Eastern history: The case of Cyrus the Great of Persia", in H.G.M. Williamson (ed.), "Understanding the history of ancient Israel". (Oxford: Oxford University Press 2007), 107-27.
(『キュロスからアレクサンダーまで:ペルシア帝国の歴史』(ピエール・ブライアン(著)、アイゼンブラウン社(米国インディアナ州)、2002年)p.50〜55、p.80〜87より ;『キュロスによるバビロン占領に関する事実(紀元前539年10月)』(ゴーチェ・トラニ、2005年3月) ; アミリー・クアート 『古代近東史:ペルシアのキュロス大王の事例』 ; 『古代イスラエル史の理解』(ヒュー・ガッドフリー・マテュラン・ウィリアムソン(著)、オックスフォード大学出版、2007年、p.107〜127)
Josef. Wiesehofer, "Kontinuitat oder Zasur? Babylon under den Achaimeniden", in Johannes. Renger (ed.), Babylon: Focus Mesopotamischer Geschichte, Wiege fruher Gelehrsamheit, Mythos in der Moderne (Saarbrucken: SDV 1999), 167-88; M. Jursa, "The transition of Babylonia from the Neo-Babylonian empire to Achaemenid rule", in H. Crawford (ed.), Regime change in the ancient Near East and Egypt: From Sargon of Agade to Saddam Hussein (New York: Oxford University Press 2007), 73-94.
(『バビロン:メソポタミアの歴史・学問の発祥・現代の神話に焦点を当てる』(編:ジョハネス・レンジャー、ザールブリュッケン出版社(ドイツ)、1999年)p.167-188に収録されている『連続か刷新か アケメネス朝支配下のバビロン』(著:ジョセフ・ヴィーゼヘーファー); 『新バビロニア帝国からアケメネス朝支配までの期間におけるバビロニアの変遷』 ミカエル・ジューサ(著)、『古代近東及びエジプトにおける政治形態の変化:アッカドのサルゴンからサダム・フセインまで』 ハリアット・クロフォード(著)、オックスフォード大学出版 2007年、p.73〜94)
Joachim Oelsner, "Review of R. Rollinger, Herodots babylonischer logos: Eine kritische Untersuchung der Glaubwurdigkeitsdiskussion (Innsbruck: Institut fur Sprachwissenschaft 1993)", Archiv fur Orientforschung 46/47 (1999/2000:378-80); R. Rollinger, "The Median "empire", the end of Urartu and Cyrus' the Great campaign in 547 B.C. (Nabonidus Chronicle II 16)", Ancient West & East 7 (2008:49-63)
(『R・ローリンジャーの「ヘロドトスの、バビロニアに対する思想 : 信頼性の議論について、批判的な考察」についてのレビュー』(著:ジョアキム・オーズナー、インスブルック(大学?)言語学科(オーストリア)、1993年、東洋学アーカイブ 46/47(号?)); 『メディア人の「帝国」、ウラルトゥの終焉と紀元前547年のキュロス大王の軍事行動(ナボニドゥスの年代記II 16)』(R・ローリンジャー(著)、古代東西誌 第7巻、2008年 収録))