牛久沼
茨城県龍ケ崎市にある沼 ウィキペディアから
茨城県龍ケ崎市にある沼 ウィキペディアから
牛久沼(うしくぬま)は、茨城県龍ケ崎市にある一級河川利根川水系の小貝川支流に含まれる沼。沼に近い牛久市と同じ名前であるが、全域が龍ケ崎市の区域内である。かつては太田沼とも言われた[2]。
小貝川下流部の小貝川低地と呼ばれる低地にあり、筑波・稲敷台地(常陸台地)の末端に位置する[3]。周囲長は約25.5km、平均水深約1m、最深部でも3m程度である[3]。
牛久沼周辺には浮田が散在する風景がみられたが、茨城県により河川改修と農地整備が進められた[3]。
沼の東岸に沿ってJR東日本常磐線と国道6号(水戸街道)が通る。最寄り駅は龍ケ崎市駅・佐貫駅。市の鳥である白鳥が毎冬約40羽近く飛来する。また、オオクチバスが生息しており、食性調査が実施された[4]。
金竜寺には「牛になった小坊主」という昔話が伝わり、牛久沼の名称はこの伝説に拠るとも言われる[5]。
金竜寺のあるなまけ者の小坊主は、毎日の勤行(ごんぎょう)を怠ってゴロゴロ寝てばかり。とうとう小坊主は本当に牛になってしまいました。初めて恥を知った小坊主は、沼に入水(じゅすい)しようと決心して岸へ向かいました。しかし寺の住職は小坊主に同情し入水を止めようとして、水の中に入る牛のしっぽを握り引き戻そうとしました。ところが、しっぽはぶっつりと切れてしまったのです。牛はそのまま水底に沈んでしまいました。がっかりした住職は、手に残されたしっぽで払子(ほっす)を作りました。その払子は、今も寺宝として保管されています[5]。
牛久沼には昔から河童伝説(UMA)の伝説があり、牛久沼沿いの遊歩道は「牛久沼かっぱの小径」と命名された[6]。牛久市では愛称に河童を付けたものがいくつか見られる。
北畔に住んでいた日本画家の小川芋銭は多数の河童画を遺している。
うな丼は「牛久沼が発祥の地」と言われており、牛久沼の周囲には現在でもウナギ(鰻)料理店が多く、特に東畔の国道6号は最盛期には8店のウナギ料理店が軒を連ねており、「うなぎ街道」として人気が高い[7][8]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.