津上研太
日本のジャズ・サックス奏者、作曲家、編曲家 (1965-) ウィキペディアから
日本のジャズ・サックス奏者、作曲家、編曲家 (1965-) ウィキペディアから
津上 研太(つがみ けんた、1965年8月20日 - )は、日本のジャズサックスプレイヤー(アルトサックス、ソプラノサックス)、作曲家、編曲家。ビバップからフリー・ジャズ、ニュージャズと様々なスタイルのライブを行う。神奈川県立湘南高等学校、学習院大学理学部化学科卒業。
2000年7月、リーダーバンド「BOZO」旗揚げ。 母方の祖父は、野球殿堂入り投手で、阪神タイガース「若林忠志賞」(創立2011年3月5日~)、七色の魔球を持つ事で名を知られている若林忠志(投手)である。若林が亡くなった年に生まれた。 「BOZO」のバンド名は、祖父若林忠志がハワイ在住時のニックネームであった「BOZO(ボウゾ)」が由来である。 バークリーメソッドには沿わない独自の音感で作曲する。
野球少年でありスポーツが得意であったが、高校時代に街中で偶然渡辺貞夫を聴きジャズサックスと出会いプロになると決める。 大学時代に知人の紹介で大友義雄(Sax)、ジョージ大塚(Ds)に弟子入り。 1987年ジョージ大塚「WE THREE」、古澤良治郎の「パパラッコバンド」にてプロデビューし、都内でライブ活動を始め、綾戸智絵 (Vo)、忌野清志郎(Vo) 、上々颱風、ゴンチチ等、多数のミュージシャンとの共演や、ツアーに参加する。 1994年古澤良次郎「ね。」発足時メンバー。1994年より村田陽一orchestraに参加。1995年山下洋輔Duo+で共演、中国ツアー参加。1996年より渋谷毅orchestraに参加。1997年シェイクスピア「お気に召すまま」の舞台に役者としてサックス吹きの男役で出演。東京・神戸公演を成功。 大友良英ニュー・ジャズ・クインテット(1999年~2007年)や、菊地成孔デートコースペンタゴンロイヤルガーデン(2000年~2007年)にてサウンドの中心となる。 多岐にわたり人脈も広く、現在は、清水くるみ(p)バンド、南博MMS(MINGUS・MONK・STRAYHORN)での定期的に行われているライブの他、与世山澄子(vo)、そいんじゃ、須川光(p・org)、市野元彦(g)、石井彰(p)など様々なアーティストとの共演を行っている。2010年7月DCPRGと改名するDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENの3年振りの活動再開に正規メンバーで参加。同年10月の日比谷野音にて再開ライブ。津上は2回目の京都ボロフェスタから参加。また、菊地成孔がオーガナイザー兼プレゼンターを務めるダンスパーティ「HOT HOUSE」にも初回より参加。
BOZO 2000年7月に旗揚げ。同8月に初ライブを行う。メンバーは津上自身が即決し、強者三者南博(P)、水谷浩章 (Bass) 、外山明 (Ds)で活動開始。 トリオをバックにしたフロントというカルテットのスタイルではなく、バンド全てが津上のサウンドプロポーションである。 2ndアルバムのタイトルになったDUENDE(ドゥエンデ)とは、スペイン語で悪魔、霊感、炎、霊魂、魔法、魔力、魅力等の意味。不吉な五感の前者よりも、スペインでは他に「良いパフォーマンスにはドゥエンデが現れる」という意味で使われる。(出典:「JAZZ TODAY」VOL.21) 自身の体得してきた語法や精神、バンドサウンドにより、BOZOのバンド内にはドゥエンデが現れると言われている。 主に新宿ピットイン、横浜エアジン、鎌倉ダフネにて活動。 現在はライブ版含め4枚のアルバムをリリース。
日本人として初のimpuls!レーベル契約。
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