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水野 晶子(みずの あきこ、1958年12月18日[1][2] - )は、日本のフリーアナウンサー・アマチュアの落語家。
1981年から1991年3月31日までは、大阪テレビタレントビューローに所属しながら、毎日放送(MBS)との間でアナウンサーとしての専属契約を締結。1991年4月1日付でMBSに正社員で入社してからは、2018年12月31日に定年で退職するまで、アナウンサーとして勤務していた。
大阪府生まれの滋賀県育ち(草津市出身)で、滋賀県立膳所高等学校から神戸市外国語大学へ進学した。大学卒業後の1981年4月に、大阪テレビタレントビューローと契約。MBS専属のアナウンサーとして同局の番組へ出演した後に、1991年4月に専門職(アナウンサー、後に一般職)の社員として入社した。水野以前にも、佐々木美絵が同様の経緯で同社の正社員になっている。
アナウンサーを志したのは小学4年生からで、「(当時大ファンだった)布施明に仕事で会える」という理由で、学生時代には音楽番組の司会を目指していた。MBSのアナウンサーになったきっかけは、大学への在学中に、MBSのアナウンサーだった角淳一がパーソナリティを務めるMBSラジオの音楽生ワイド番組(タイトル不詳)のアシスタントを選ぶオーディションへ参加したことにある。水野が「舟唄」(八代亜紀)を十八番にしていることを角に伝えたところ、角から目の前で歌うように勧められた。ところが、「突然の勧めで頭が真っ白になった」という水野は「舟唄」を歌えないまま角の前で号泣。これに対して、角は「(オーディションで求めていた)タレントというより、アナウンサーに向いている」という言葉で水野を慰めたという。結局、水野はアシスタントに採用されなかったものの、オーディションから半年後にMBSとの間でアナウンサーとしての専属契約を締結[3]。角淳一が当時同社のアナウンサーだったことから、角の部下になった。
大阪テレビタレントビューローへの在籍中から、『諸口あきらのイブニングレーダー』(毎日放送ラジオ報道部が制作していたMBSラジオ平日夕方の生ワイド番組)へ出演。後継番組の『情報ラヂオ・スパイス!』『MBSニュースワイドアングル』でも長年パーソナリティやアシスタントを務めた。
2005年4月の番組改編で、上記番組の放送枠が平日の早朝(06:00 - 07:45)に移動したのを機に、冠番組『はやみみラジオ!水野晶子です』でメインパーソナリティを担当。2008年3月に同番組が終了すると、同年4月から平日夜間に放送を開始した『MBSニュースレーダー』で金曜日(「ニュースレーダー 金曜は水野です」)でもパーソナリティを務めた。その一方で、『諸口あきらのイブニングレーダー』時代から、毎日新聞社の近藤勝重(大阪本社社会部記者→「サンデー毎日」編集長→東京本社専門編集委員)と番組でたびたび共演。MBSラジオで『はやみみラジオ!水野晶子です』以降に出演の生放送番組では、2012年度のプロ野球オフ期間を除いて、2014年3月27日まで近藤勝重によるラジオコラム「しあわせの雑学」で聞き手を務めていた。
MBSテレビの深夜番組『シネマチップス』で当時の後輩アナウンサーの三上智恵と映画批評を展開するほど、映画に対する造詣も深い。同番組の終了後も、アナウンサーや管理職としての仕事のかたわら、大阪毎日文化センターで「水野晶子のシネマトーク」と題した講義を担当していた。
テレビ番組については、前述の『シネマチップス』のほか、平日の午前中に放送されていた大阪株式市況関連の番組で長らくキャスターを担当。毎日放送アナウンサー室の企画による『あどりぶランド』(当時の現役アナウンサーが全員登場することで知られた深夜番組)へ出演する機会も多かったが、ラジオ報道部が制作する生放送番組を担当する機会が増えるにつれて、登場の頻度は減っていた。現に、2007年10月15日放送の『ちちんぷいぷい』(角が2011年9月30日までレギュラーで出演していた平日午後の情報番組)の「今日のポン!」コーナーに、MBSラジオが聴取率調査週間に合わせて設定する「スペシャルウィーク」のPRで、ラジオパーソナリティの1人として出演するまでは、ほぼ6年間『MBSニュース』以外出演していなかった。その後も出演番組を事実上ラジオ番組に限っていたが、角が2017年10月6日から『ちちんぷいぷい』の金曜日に「もう興奮させんといて~」(自身の発案によって同日から始まったコーナー)のパネラーとしてレギュラー出演を再開したことを受けて、同日放送の「もう興奮させんといて~」にプレゼンターの1人としてテレビ番組へ久々に出演した。
2009年10月から2012年9月までは、『MBSニュースレーダー』の後継番組『RadioNews たね蒔きジャーナル』で、月~水曜日と金曜日のメインキャスターを担当。2012年10月以降は、ラジオ報道部(当時存在していた部局)が制作する『報道するラジオ』をはじめ、MBSラジオの複数の番組でパーソナリティを務めていた。このように、専属契約アナウンサー時代の1981年から37年間にわたってラジオ報道部制作の生ワイド番組に出演してきたが、2018年の誕生日で毎日放送の定年(60歳)に到達。このため、『報道するラジオ』の終了(3月26日)を機に、MBSラジオの生放送番組やラジオ報道部制作の報道番組から勇退した。『報道するラジオ』最終回当日の『MBSマンデースペシャル』(19:00 - 20:00)では、「水野晶子が振り返る ラジオと報道の37年」を放送。その一方で、レギュラーを務める収録番組には、2018年の4月改編以降も引き続き出演している[4]。
その一方で、「音楽番組の司会」という学生時代の目標も、定年2年前の2016年4月から『野村啓司の懐メロ♪ジュークボックス』(MBSラジオで毎週金曜日の深夜に放送される事前収録の音楽番組)で野村啓司(毎日放送出身のフリーアナウンサー)のパートナーを務めることによって達成された。かつての上司だった野村からの指名による起用だったが、上記のように報道番組の担当が長かった水野は当初、指名を固辞していた。しかし、当時亡くなったばかりで、生前「音楽と無縁」と思われていた実父の遺品から偶然『千曲川』(五木ひろし)のカセットテープを発見。この一件が縁で後に指名を受諾すると、レギュラーではテレビ・ラジオを通じても初めての音楽番組ながら、2019年3月29日深夜放送分まで3年間にわたってパートナーを務めた。
2018年12月31日(月曜日)に、毎日放送を定年退職。この退職によって、専属契約期間を経て毎日放送へ入社した現役のアナウンサーが、同局から姿を消した。毎日放送アナウンサーとしての最終出演番組は、定年の当日[5]にMBSラジオで放送された『弁護士の放課後 ほな行こか〜』(2012年4月からパーソナリティを務めている事前収録番組)[注 1]。
ちなみに、毎日放送アナウンサー室が制作するテレビ番組のうち、『あどりぶランド』(1984年1月 - 1998年3月)には専属契約アナウンサー時代から随時登場していた。 2018年7月からレギュラー放送を開始した『コトノハ図鑑』については、アナウンサー室全体で取り組む企画に参加していたものの、定年で退職するまで出演の機会がなかった。その一方で、同年夏には、『野村啓司の懐メロ♪ジュークボックス』などの番組で随時共演している大山慎介(STVラジオ『ちょっと暮らし北海道』パーソナリティ、株式会社北海道田舎プロデュース代表取締役、元・北海道庁職員)からの勧めによって、1ヶ月間の休暇を取得したうえで北海道での「ちょっと暮らし」(短期移住)を体験した。
定年退職後の2019年1月以降は、フリーアナウンサーやアマチュアの落語家として活動[6]。定年退職時点でのレギュラー番組(詳細後述)への出演(MBSラジオ以外の他局には、ゲストを含め出演していない)や「水野晶子のシネマトーク」の講師を続ける一方で、落語やドキュメンタリー朗読(インタビュー取材に基づく朗読)などへ本格的に取り組むほか、2019年4月からは大阪毎日文化センターで「こころの朗読&トーク」の講師も務める。
いずれも毎日放送のアナウンサー時代
いずれもMBSラジオが制作
以上はいずれも、在職中に存在していた「ラジオ報道部」制作の生放送番組。
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