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日本のドイツ語学者 ウィキペディアから
桜井 和市(さくらい わいち、1902年(明治35年)7月11日 - 1986年(昭和61年)1月12日[1])は、日本のドイツ語学者。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
1919年 旧制野沢中学(現長野県野沢北高等学校)卒業。1922年 旧制松本高等学校文科乙類卒業。
1925年 東京帝国大学独文科卒業、旧制静岡高等学校教授。1937年 文部省在外研究員としてドイツ留学。
1939年 学習院教授。1950年 学習院大学文学部教授。1955年-1956年 NHKラジオドイツ語講座 講師。1963年 文学部長。1970年-1981年 学校法人学習院院長[2]。
教え子であった三島由紀夫は恩師の桜井和市について、「雷名轟く」とても怖い先生で、「いつも血色よろしく、声量ゆたか、小兵の体軀にエネルギーが充満して」いて、生徒たちからは、「桜」の音をドイツ語読みにした「ザク」という「いかにも軍靴で砂利を踏みにじつてゆくやうな音感」の渾名で呼ばれていたと語っている[3]。
かういふ怖い先生に怒鳴られつけてゐて、何かの加減でほめられた記憶といふものは忘れ難いもので、Das Mädchaen von Treppi といふ小説のテキストを[注釈 1]、いきなり与へられ、予習なしにいきなり読まされて、何とかその一節を訳してゆくと、「フム、フム」といふ合の手を入れて、苦笑ひみたいな笑ひ方をして、檻の中の猛獣みたいに教室の中を歩いてゐる先生の様子が、まづまづ御機嫌の態で、ほつとしたことがあつた。
桜井先生は教室で怖いばかりでなく、教室外でも学生課長で恐怖的であり、ちらつき出した雪の中を、頭から外套をかぶつて歩いてゐると、うしろからいきなり怒鳴られて、あわてて逃げたこともある。 — 三島由紀夫「ドイツ語の思ひ出」[3]
しかしその一面、膝を突き合わせて話すと、「妙に照れ性で、話題に乏しく、何とか軟らかい、非ドイツ語的な話題」を選んだのか、体を丈夫にする秘訣を教えられ、懐かしく思い出される先生だと述懐し[3]、「今になつて思ふと、苦しさ辛さの記憶はうすらいで、少くとも文法だけは、桜井式恐怖的指導法で詰め込まれるのが、一等ためになるのではないかといふ意見を、私は持つてゐる」と三島は述べている[3]。
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