松長藩
日本の江戸時代に、駿河国に所在した藩。相模小田原藩の支藩 ウィキペディアから
日本の江戸時代に、駿河国に所在した藩。相模小田原藩の支藩 ウィキペディアから
松長藩(まつながはん)は、駿河国駿東郡松長村(現在の静岡県沼津市松長)にあった相模国小田原藩の支藩である。藩庁は松長陣屋に置かれた。
小田原藩主(後期)大久保家の初代、大久保忠朝の次男の教寛が元禄11年(1698年)に相模愛甲郡・足柄上郡・高座郡に6000石の分知を受け、宝永3年(1706年)10月に西の丸若年寄に就いたことで、さらに駿河駿東郡・富士郡、伊豆国君沢郡・田方郡などに5000石を加増され1万1000石で諸侯(大名)に列したのが始まりであり、松長に陣屋を置いた。
享保3年(1718年)3月、さらに相模国内において5000石の加増を受け、都合1万6000石となったが、享保15年(1730年)11月、2代藩主教端が弟教平に3000石を分与したため、1万3000石となった。
天明3年(1783年)、第5代藩主教翅が陣屋を松長から相模国愛甲郡の荻野山中(現在の神奈川県厚木市中荻野)に移した。以降は荻野山中藩となった。
譜代。1万1000石→1万6000石→1万3000石。
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