木下大サーカス (きのしただいサーカス)は、岡山県 岡山市 北区 に本部を持つサーカス 団である。運営は木下サーカス株式会社 が行っている[1] 。
この記事には
複数の問題があります 。
改善 や
ノートページ での議論にご協力ください。
横浜公演(2017年 )みなとみらい地区 のビル群とテント
興行では年間およそ120万人の観客を動員[2] 。
1877年 (明治 10年)に興行師 である木下藤十郎が岡山市 西中島に「旭座」を開設したことが起源となる。その後、藤十郎に見込まれた矢野唯助が木下家に婿養子 入りし、1902年 (明治35年)に大連 で曲馬団を創業、これが木下大サーカスの原点となる。しかし、その後の日露戦争 の勃発に伴い帰国を余儀なくされ、拠点を岡山に移すこととなる。
ショーの内容としては、動物 による曲芸 、空中ブランコ 、オートバイ 、ジャグリング などを取り入れたものとなっている。また後述のように、日本古来の葛の葉 などの伝統芸を復古する取り組みも行っている。日本国内において移動公演を行っているが、海外とのコネクションも大きく、数度に渡る海外公演も行っている。
現在はサーカスの興業の他にも、キノシタグループとしてマンション 経営や駐車場 の所有、後述する野生動物 の保護や環境保護活動等も行っている。
木下グループ とは読み方が同じと言うのみであり、資本・人材を含めて関連は一切ない。
1902年(明治35年) - 木下唯助により創始。中国 の大連 を皮切りに中国沿岸部やロシア を巡業。
1904年(明治37年) - 岡山市 の千日前にて日本国内第1回の興行を行う。
1944年(昭和19年) - 兵隊に召集され男性団員が無い中、女性団員のみで公演する[3] 。
1953年(昭和28年) - 出雲大社 で夜に火災発生に象が気付き、象の声で気付いた団員が消火作業をし文化庁 から表彰される[3] 。
1954年(昭和29年) - それまでの丸太小屋組みの興行から、持ち運びが便利で設営しやすい[3] 赤い丸テント(製作:太陽工業 )の誕生(1960年代 に素材は合成繊維 となる)。移動しやすくなりハワイ、シンガポールなど海外公演もされた[3] 。
1961年(昭和36年)10月 - 会社設立[1] 。
1981年(昭和56年)- 空中ブランコをWにする[3] 。 ポートピア'81 から海外アーティスト出演。
1987年(昭和62年)- ワシントン条約 で象 の売買禁止後、タイ 政府の許可を得てショーに出演する象の契約を結ぶ。
1999年(平成11年)12月27日 - タイの象の病院開設、寄付で「象の保護を通じ動物愛護の心と日タイ両国の友好を深めた」として記念盾が贈られる。
2002年(平成14年)11月26日 - 埼玉県知事 より「彩の国功労賞 」が贈られる。
2003年(平成15年)1月8日 - 山陽新聞社 より「産業功労賞」が贈られる。
2007年(平成19年)- ヨーロッパサーカス連盟 (ECA:European Circus Association)のメンバーに選ばれる。
2008年(平成20年)1月18日 - モナコ公国 にて毎年1月開催のモンテカルロ 国際サーカスフェスティバル(Festival International du Cirque de Monte Carlo、レーニエ3世 によって世界最高のトップパフォーマーの演技披露の場として開催、名誉会長はステファニー公女 )主催ECAシンポジウムでスピーチを行う。
2020年(令和2年)3月27日 - 大阪市役所 で紺綬褒章 の伝達式が開かれた。授与は2019年(令和元年)11月30日付。同社は大阪公演の際、JR大阪駅北側の公園整備のための「うめきたみどり募金」に1000万円を寄付[4] 。
コロナウイルス感染症流行の影響 で2020年(令和2年)3月から8月まで休演した[5] [6] 。
木下サーカス株式会社
代表取締役社長: 木下唯志
所在地: 岡山県岡山市北区表町3丁目22-22
関連会社
木下興産株式会社
木下サーカスインターナショナル株式会社
木下ブラザーズ株式会社
廃業した矢野サーカス とは、縁戚関係にあった。矢野サーカスの初代団長(矢野庄太郎)は、木下唯助の兄。唯助は婿入り前には矢野唯助と言い、矢野巡回動物園(後の矢野サーカス)を運営していた叔父に育てられている。
近年の公演では、所によりライオンと虎の交配によって生まれた“ライガー ”のショーを行っている(2013年現在、行われていない模様)ほか、「坂綱」や「梯子芸」等の日本伝統の曲芸を復元する取り組みも行っている。また2010年 11月からは雄雌2頭ずつのホワイトライオンがショーに参加している。
プログラムには象 によるショーが含まれるが、会場によってはワシントン条約 などの法規制の問題から出演することが出来なくなる場合がある。その場合はその他のショーを組み込んでいる。
野生動物の保護活動、環境保全活動にも力を入れており、タイのランパンに開設されている象の保護・繁殖施設「国立エレファント・コンサーバティブセンター」内に怪我をした象の治療施設を備えた「キノシタ・エレファント・ホスピタル」を1999年 に開設した。チェンマイ大学 の獣医約10人が常駐しており、常に象の治療にあたっている。また木下大サーカスではワシントン条約によって象の商的売買が禁止された後の1987年 にタイ政府と交渉の上で、ショーに出演させるための象の契約を締結している。環境保全活動としてはAWRC(アジア産野生生物研究センター)と協力体制を敷いている。
ロードオブメジャー のシングル「ENERGY 」(2006年 5月31日 発売)、B'z のアルバム『ACTION 』収録曲「パーフェクトライフ」(2007年 12月5日 )のPV 撮影に協力した。
お笑いグループ 、安田大サーカス の名前の元になっている。
団員の生活は2.5メートル×10メートルのコンテナハウス で、家族はコンテナ1棟、独身者はコンテナ1/3に居住。共同炊事場・トイレ・風呂、昼食は弁当、朝食・夕食は各自で調理。
5代目社長となる予定の木下龍太郎は、漫才師である次長課長 の同級生としてバラエティ番組『痛快!明石家電視台 』(毎日放送 )で紹介されていた。
『木下サーカス生誕100年史』(2002年6月、木下サーカス株式会社)
山岡淳一郎 『木下サーカス四代記 年間120万人を魅了する百年企業の光芒』東洋経済新報社 2018年
ウィキメディア・コモンズには、
木下大サーカス に関連するカテゴリがあります。