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ドイツの映画作品 ウィキペディアから
『意志の勝利』(いしのしょうり、ドイツ語: Triumph des Willens)は、1934年にレニ・リーフェンシュタール監督によって製作された記録映画。同年に行われた国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の第6回全国党大会の様子が記録されている。
意志の勝利 | |
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Triumph des Willens | |
映画ポスター | |
監督 | レニ・リーフェンシュタール |
脚本 |
レニ・リーフェンシュタール ヴァルター・ルットマン |
製作 |
レニ・リーフェンシュタール アドルフ・ヒトラー |
音楽 | ヘルベルト・ヴィント |
配給 | 東和商事 |
公開 |
1935年3月28日 1942年3月 |
上映時間 | 114分 |
製作国 | ドイツ国 |
言語 | ドイツ語 |
『意志の勝利』が記録したのは、古都ニュルンベルクで1934年9月4日から6日間行われた国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチ党)の第6回全国党大会である。製作に使用されたカメラは16台、スタッフは100人以上、撮影フィルムは60時間分に上り、当時としては大がかりなものだった。映像はモノクローム、音声モノラルのトーキー映画であった。
リーフェンシュタール監督はこの映画の監督を党首のアドルフ・ヒトラー自身から直接依頼された。主演・監督を務めた映画『青の光』に感動してのことという。
リーフェンシュタールの自伝によると、「宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの嫉妬を買いたくなかったし、ヒトラーの提示した『意志の勝利』というタイトルが大仰で芸術性のないことに嫌悪を感じたこともあって、最初は断った」という。しかし結局は「ヒトラーの非常な熱意と、題名以外は自由に製作させるという約束に動かされて監督を引き受けることになった」という。ただし、リーフェンシュタールはこの前年にNSDAP党大会の映画『信念の勝利』を撮影しており、自伝の内容は必ずしも正確ではない。
リーフェンシュタール監督は撮影・編集にあたっていくつもの独創的な技法を考案した。たとえばヒトラーの演説のシーンでは半円形に敷いたレールの上に置いたカメラでヒトラーを追い、様々なアングルから同じ被写体を捉えながらも見る者を飽きさせずに高揚させることに成功している。他にも大胆なクローズアップによって群衆の中の一人を切り取って見せ、それによって見る者もまたその全体の中の個であるかのような臨場感を抱かせたり、ヒトラーの飛行機によるニュルンベルク到着を冒頭に置くことによって雲の中から降臨する神・絶対者のイメージを想起させるなど、様々な手法で党大会の高揚感を伝え、また新たに作り出すことにも成功している。
地方から集まった突撃隊(SA)の若者たちが興じるスポーツの様子やテントでの共同生活が明るいトーンで描かれており、後の『オリンピア』につながる要素も見られる。また、整然たる行進や隊列の美しさの描写は『意志の勝利』の特徴となっている。映像後半部の党の各組織、諸部隊によるヒトラーの前での閲兵行進もまた圧巻である。突撃隊幕僚長ヴィクトール・ルッツェを筆頭とする突撃隊の行進からはじまり、ラストは、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラー率いる親衛隊(SS)の行進となり、さらにバーデンヴァイラー行進曲と共に「SS・アドルフ・ヒトラー身辺護衛連隊(LSSAH)」の力強い行進の映像が最後に記録されている。
リーフェンシュタールは若い女性であり、NSDAP党員でもなかったため、宣伝相ゲッベルスなどの党幹部から快く思われていなかった。また、長いナイフの夜事件で突撃隊幕僚長エルンスト・レームら幹部を粛清された突撃隊員は党に対する不満を持っていた。そのため、カメラマンを突き飛ばしたり、脚立をひっくり返すなどのいたずらが頻発したという。
また、編集に際しては映画に映っていない幹部からクレームがついた。リーフェンシュタールが断ると、ヒトラーが幹部達の写真を挿入するよう要請した。しかしリーフェンシュタールは拒否したためにヒトラーが激怒することもあったという。結果ヒトラーは折れ、リーフェンシュタールの編集のまま作品は完成した。
『意志の勝利』は完成後ドイツ各地で記録的な動員を達成し、NSDAPの党勢拡大を印象づけた。しかしこれは料金割引や学校、職場における半強制的な動員があってのことであり、上映期間はたったの3日間であった上に、50%の割引を受けられた親衛隊員や突撃隊員ですらほとんどこの映画を鑑賞しなかったという報告がある[1]。一方でその整然たる映像美は海外でも高く評価され、1935年のヴェネツィア・ビエンナーレでは金メダル、1937年のパリ万博でグランプリを獲得している。
しかし第二次世界大戦後その評価は一転し、リーフェンシュタール監督はプロパガンダによるナチズムへの協力者として訴追されることになった。この容疑は長い審判の後否認されリーフェンシュタールは無罪となったがその後も非難は続き、それに対し彼女は名誉毀損の訴訟を100件以上起こしている。
『意志の勝利』は、社会への影響の点でも表象文化論へのそれにおいても、映画史にのこる問題作との評価がある。とくにナチズムへの加担について、リーフェンシュタール自身は「私は政治には全く興味はなかった。興味があったのは美だけ」と述べている。
現在ドイツでは法律で『意志の勝利』の一般上映は禁じられている。授業などで青少年に観せる必要がある場合には、事前に入念な説明と警告を行う必要がある。
アメリカでは、英語字幕付きのDVDやビデオが発売されている(タイトル:意志の勝利/Triumph of the Will)。このDVDはリージョンフリーで、日本国内のプレイヤーで再生できる。オリジナル版には字幕やナレーションは全く無い。しかし、ドイツ語音声のほとんどはヒトラーや党幹部の演説であるため、字幕等がなくてもドイツ語を解しない者の鑑賞にも耐える。
日本では、1942年3月に初公開。それから67年を経た2009年8月に東京でリバイバル上映が行われた。11月にはパブリックドメインDVDがムック『ヒトラー伝説』(2009年、コスミック出版)に付属する形でリリースされ、翌2010年1月には音声解説などのついたデジタル・リマスター版DVDが発売された。なお、戦後に公開された版には、ナチス・ドイツの引き起こした惨劇についての注釈がなされている。また、現在のところ日本語吹き替え版は存在しない。
この映画には、開会式から閉会式まで、昼夜のシーンが交互に3回あらわれるので、3日間の出来事を描いたように見える。すなわち、大会前日(ヒトラーが到着した夕方 - ホテル前の夜間集会)を別として、第1日(開会式 - 国家労働奉仕団の点呼 - 突撃隊の夜間集会)、第2日(ヒトラーユーゲントの点呼 - 国防軍の演習視察 - 政治指導者の点呼)、第3日(突撃隊・親衛隊の点呼 - 中央広場/アドルフ・ヒトラー広場での分列式 - 閉会式)の3日間である。しかし、実際の第6回党大会は、1934年9月5日から10日までの6日間にわたって開催された[2]。映画は、実際の時間の順序を無視して編集され、3日間の出来事のように再構成されている[3]。
„Triumph des Willens - Das Dokument vom Reichsparteitag 1934 - Hergestellt im Auftrage des Führers - Gestaltet von Leni Riefenstahl“ (意志の勝利 - 1934年党大会の記録 - 総統の依頼により製作された - 製作レニ・リーフェンシュタール)
„Am 5.September 1934 - 20 Jahre nach dem Ausbruch des Weltkrieges - 16 Jahre nach dem Anfang deutschen Leidens - 19 Monate nach dem Beginn der deutschen Wiedergeburt - flog Adolf Hitelr wiederum nach Nürnberg um Heerschau abzuhalten über seine Getreuen.“ (1934年9月5日 - 世界戦争が勃発してから20年後 - ドイツの受難が始まってから16年後 - ドイツの再生が始まってから19か月後[注 1] - アドルフ・ヒトラーは、彼の忠実な従者たちを観閲するために、再びニュルンベルクに向けて飛行した)
第6回党大会を開会するにあたり、畏敬の念を込めて、永遠の眠りに就かれた陸軍元帥であり大統領であったフォン・ヒンデンブルクを追悼します。陸軍元帥は、大戦争における最高の戦士でした。同時に、戦死した仲間たちにも思いを馳せましょう。
(来賓席のほうを向いて) 外国の高官[注 6]の方々を歓迎いたします。会議に参加いただいたことに、党は敬意を表します。心からの友情を込めて、"運動" [注 7] は、とくに目下、総統の指揮下にある国防軍の代表者諸氏を歓迎します。(ヒトラーのほうを向いて) 総統閣下、あなたのまわりに国家社会主義の旗とシュタンダルテがあります。それらの布が将来ぼろぼろになったとき、人々は初めて完全に理解できるでしょう。過去を振り返って我々の時代の偉大さを知り、我らの総統であるあなたがドイツにとってどういう意味があったのかを理解するようになるでしょう。
あなたがドイツなのです。あなたが行動するとき、国が行動します。あなたが判断するとき、国民は判断します。我々の感謝のしるしに、こう誓いましょう。良い日も悪い日もあなたを支えますと。たとえ何が起こっても、あなたのご指導のおかげでドイツは目標を達成するでしょう。故郷であろうという目標……世界中のすべてのドイツ人の故郷であろうという目標です。あなたは我々の勝利の保証人でした。あなたは我々の平和の保証人です。アドルフ・ヒトラー、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル
降壇したヘスはヒトラーと固く握手を交わす。
(ヒトラーの声明を代読する形で)革命が長く続くためには、完全な無政府状態を達成しなくてはならない。世界が戦争状態のまま存続することがないように、国民が革命によって生きることはない。この世を一千年間も支配し続ける偉大なものが、十年間で造られたことはない。最も大きな木は、最も長い時間をかけて成長した木でもある。多くの年月を耐える強さを得るには、それだけ長い時間を要する。
我々が揺るぎない確信を抱き、またそうなることを望んでいるのは、熱狂的に前進を続けている現代の特別な若者たちが、いつか運動を継続するために必要とされるだろうということである。それは1918年以来ミュンヘンで続く変革[注 8]の激動の年月の中で創始され、すでにすべてのドイツ人の心を掴み、今日その歴史的な重要性がドイツ全土で顕著になっている運動である。
新聞は、真実に基づくかどうかでその価値が決まる。我々が新聞に求めるものは、外国の新聞でも同様だが、ドイツについての真実を伝えて欲しいということだけである。
アウトバーンの建設は、全国51か所で始まっている。まだ始まったばかりだが、すでに5万2千人が道路の建設工事に従事している。さらに建設現場には10万人が雇用され、資材の供給や橋の建設に従事している。
どこを見ても、建設が進行している。改築が行われ、新しい重要な建築物が造られている。そして、どこを見ても、昨年以来、産業活動が進行している。その活動は将来も続けられるだろう。
我々の産業が栄え、内需や輸出産業を盛んにするためには、農業従事者の保護を続けることが最も重要な条件である。
民族の純潔性を重視しない国家は滅びるだろう。
我々は一つの考えだけを念頭に置いて活動しなくてはならない。すなわちドイツ人労働者を、他の労働者と同じ権利を享受する、立派な、誇り高き市民に育てることである。
ドイツの司法責任者として、これだけは言える。国家社会主義の法体系は、国家社会主義の基礎である。我々にとって最高の指導者は、最高の裁判官でもある。周知のように、正義の原則は我らの総統に捧げられているのだから、このことは保証しよう同胞諸君、この治安の良い、自由な、法が支配する国家社会主義体制においては、諸君の命と身分は守られていると。
我らの熱狂の明るい炎が、消えないことを願う。この炎だけが、現代の政治のプロパガンダという創造的な芸術に、光と熱をもたらしている。この芸術は、国家の奥底から湧き起こってきた。その根源を探り、活力を得るためには、再び奥底に戻らなくてはならない。武力で権力を得るのも良いだろう。しかし国家の核心を掴んで放さないほうが、より優れていて、喜ばしい方法なのだ。
ドイツ国民は、どんな労働奉仕に対しても備えができている。総統のご命令を、お待ちしている。
国家労働奉仕団の諸君。諸君が、このような形の点呼に整列するのは、私の前で、従って全ドイツ国民の前で、初めてのことである。諸君は、ひとつの偉大な理想を体現している。我々は知っている。我らの何百万という同胞[注 11]にとって、労働の概念はもはや様々ではなく、すべての人に共通なものに結ばれたことを。その上さらにドイツにおいては、力仕事を他の何らかの仕事よりも劣っていると見なす者は、もはや誰もいないだろうということを。
全国民は諸君を手本にするだろう。その時は来る。ドイツ人が国民の共同体に参加するためには、まず諸君の団体に参加しなくてはならない時が[注 12]。
諸君は分かっているだろう。この瞬間に諸君を見ているのは、ニュルンベルクの数十万人ではない。この瞬間、ドイツが初めて諸君を見ているのである。私には分かっている。諸君が誇るべき忠誠心でドイツに義務を果たすので、今日ドイツは誇らしい喜びで息子たちの行進を見ていることを。
総統閣下、隊員諸君、我々は再びこの幸せな時間を過ごしています。我々に誇りを与え、喜びを与えてくれる時間です。あなたのご命令によって、青少年たちがここに集っています。階級も身分も知らない青少年たちです。我らの民族の若い世代は、あなたを規範にしています。あなたは、この国で最も私心のないかたなので、この青少年たちも私心のない人間に育つでしょう。あなたは我々に誠実さを体現してくださるので、我々も誠実でありたいのです。アドルフ・ヒトラー、ドイツの青少年の指導者がお話しになります。
わがドイツの青少年諸君、1年ぶりで私はここで、諸君に再び挨拶ができる。今日、このスタジアムにいる君たちは、ほんの一部にすぎない。ここの外のドイツ全土にいる若者たちの一部である。我々が望んでいるのは、君たちドイツの少年たち、ドイツの少女たち[注 15]が、我々が将来のドイツに期待することのすべてを、自分の中に受け止めてくれることだ。我々には、国民の理想像がある。だから君たち青少年諸君は、そのような国民にならなくてはならない。我々は将来においては、もはや階級も身分制度も認めない。だから諸君は自分たちの中にそれらを育ててはならない。我々には将来の国家の理想像がある。だから諸君は必ず、それに合わせて自らを育てなくてはならない。我々は将来、国民が従順であるように望む。だから諸君は自らを従順であるように訓練しなくてはならない。
我々は将来、国民が平和を愛し、その一方で勇敢であるように望む。だから諸君は、平和を好まなくてはならないし …… (歓声のために中断)…… 平和を好み、それと同時に勇敢でなくてはならない。我々は、将来国民が柔弱になることなく頑強であることを望む。だから諸君は、そのために青年期に自分を鍛えなくてはならない。諸君は学ばねばならない。くじけることなく、不自由さを受け入れることを。
我々が今日、何を成し遂げ、何をもたらしても、我々は消え去っていく。しかしドイツは、諸君の中に生き続けるだろう。そして我々の中に、もはや残っている者がいなくなったとき、諸君は旗を掲げるのだ。かつて我々が無の中から掲げた旗を。諸君は自らの手で、それを掲げ続けなくてはならない。
私は知っている。それとは違うことになるはずがないことを。なぜなら、諸君の肉体は我々の肉体から生まれ、諸君の血は我々の血から造られたからだ。そして、諸君の若い頭脳には、我々を支配している精神と同じ精神が宿っているからである。諸君は我々と団結する以外にありようがない。私は知っている。我々の運動の長大な隊列が、今日ドイツ中で勝利の行進をするとき、諸君もその隊列に合流することを。そして我々は知っている。我々の前にドイツがあり、我々の中をドイツが行進し、そして我々の背後からドイツがやってくる[注 16]ことを。
1年前、我々はこの場で、初めて出会った。初めての国家社会主義の政党の政治指導者の総点呼であり、その時に20万人が集合した。諸君は気持ちがおもむくままに集まったのではなく、忠誠心にうながされるままに呼び寄せられたのでもない。諸君を呼び寄せたのは、我らが民族の大いなる苦難だったのだ。かつて我々に降りかかり、我々を団結させた苦難であり、闘争の間、我らをさいなみ増していった苦難である。だから、すべての者が分かることはない。自分たちの民族が同じ苦難を味わった者でなければ分からない。彼らには謎であり、神秘なのだ。いったい何が数十万人を集め、何が欠乏や苦しみ、不自由を耐えさせるのか。彼らは、それが国家の命令によると考え、それ以外は思いつかない。彼らは思い違いをしている。国家が我々に命令したのではない。我々が国家に命令したのである。国家が我々を動かしたのではない。我々が国家を動かしたのだ。
否、運動である。運動が生きているのだ。それは確かな根拠に基づく運動である。我々の中のただ一人でも息ができる限り、その者はこの運動に自分の力を貸すだろう。そして運動を支持するだろう。我々が過去数年間、そうしてきたように。そして太鼓の後に太鼓が来る、旗の後に旗が続く、さらに集団と集団が合流し、大管区と大管区が合併し、ついには、かつて引き裂かれていた民族が、一つになった国民の長大な列の後ろに続くであろう。
もしも我々が、戦い獲り勝ち得たものを、将来減らしてしまったら、それは冒涜である。なぜなら、多大な労働と不安と犠牲と苦難を伴わなければ、それを獲得できなかったからだ。人は、自分の全人生に内容や意味や目的を与えてくれたものを裏切ることはできない。そういうものを無から創り出すには、強い命令が根拠になっていなくてはならない。我々にその命令を下すのは、この世の上官ではない。我々の民族を創造した神が、命令を下すのである。だから今夜、我々は誓いを立てよう。毎時間、毎日、ただドイツのこと、民族と国家のこと、そして我らがドイツ国民のことだけを思うという誓いを。我らがドイツ国民に、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル。
突撃隊および親衛隊の諸君。ほんの数か月前、この運動にひとつの暗い影が生じた[注 20]。突撃隊は、他のいかなる党の組織と同様、この影とはほとんど関係がない。我々の一致団結した運動の組織に亀裂すら生じている、などと信じる者は、みな思い違いをしているのだ。我々の運動は盤石である。ここに一塊となっているごとく。我々の運動は頓挫することはない。突撃隊の精神を冒涜した者がいたら、その者が打撃を与えたのは突撃隊ではない。その者自身が、みずからに対して罪を犯したにすぎない。
そして、狂人か意図的な嘘つきだけが、こんなことを思いつく。私か、あるいは他の誰かが特定の意図を持って、我々が長年築いてきたものを自ら解体した、などということを。それは誤りだ、わが同志諸君。我々はドイツのために強く団結している。そして強く団結しなくてはならない。私は諸君に新しい隊旗を引き渡そう。私は確信している。私が隊旗を渡す相手は、ドイツで最も忠実な相手であることを。なぜなら、これまでの時間、諸君は私に千倍の忠誠心を示してくれたのであり、これからの時間も、他のありようになることは出来ないし、ならないだろうからである。私は諸君に敬礼をしよう。以前から忠実な我が突撃隊と親衛隊の隊員諸君に、ジークハイル。
第6回党大会も終幕を迎えようとしている。我々の列から外れている数百万人のドイツ人は、おそらくは政治的な力を誇示する印象的な光景としか評価しないだろうが、数十万人の闘士たちにとっては、限りなく大きなものだった。古参の闘士と、闘っている同志たちとの個人的かつ精神的な重要な出会いであった。おそらくあなたがたの多くは、我々の党の観閲式の圧倒的な壮大さにもかかわらず、悲しい気持ちであの日々を思い起こすだろう。国家社会主義者であることが、まだ辛かった日々のことを。
なぜ辛かったのか。それは我々の党がちょうど7名であったとき、すでに2つの原則を表明していたからである。その1、真の世界観を持った党であるべし。その2、ゆえに妥協することなく、唯一の勢力、ドイツのただ一つの勢力であるべし。我々は、少数派の党に留まらなくてはならなかった。なぜなら、我々は闘争と犠牲という最も重要な構成分子だからである。戦時体制下の国家においては、そのような構成分子はいつも多数派ではなく少数派になる。そして、ドイツ国家の最高の人種的な価値を持つ者たちが自らを誇りに思いつつ、大胆かつ勇敢に国家と国民の指導権を求めたので、多くの民衆が仲間に加わり、指揮下に入ったのである。
ドイツ国民にとって、こういう意識を持てることは幸運である。すなわち、“現象の絶え間ない逃走の中の、ひとつの安定した極に、今や最終的に交替した”[注 27]という意識である。交替したのは、この国の最高の血統を担っていると自覚している者である。そして、国家の指導者に上り、その地位を守り、その立場を利用し、もはや辞することはないと決意している者である。ドイツ国民は、政権の交代がようやく終わりを告げ、強力な政体が確立されたことに満足している。最高の血を引く男がこの国の指導権を握った。彼はそれを維持し、万民の最大の福祉のためにそれを行使し、一歩たりともあとへは引かない覚悟である。
実際に活動している闘士たちは、いつも国民の一部に過ぎないだろう。そして彼らには、残りの何百万人の同胞よりも、さらに多くのものが要求されるだろう。彼らは「私は信じる」と告白するだけでは十分ではない。その代わりにこう誓うべきだ 「私は闘う」。この党は、いつの時代でもドイツ国民の最上の政治指導者であるだろう。党の原則は不変であるだろう。その組織は鋼鉄のように強いだろう。その戦術は柔軟で順応性があるだろう。それでいて、その全体像は一つの騎士団のようであるだろう。しかし目的はこうでなくてはならない。すべてのまっとうなドイツ人が国家社会主義者になり、最高の国家社会主義者だけが党員になることだ。
かつて我々の敵は、こんなことを心配していた。すなわち、時々の禁令や迫害が、同時にこの運動から役立たずの連中を根こそぎ排除したのではないかということだ。運動にそのような連中が現れ始めていたのだ。今日、我々は自ら吟味して、そぎ落とさなくてはならない。悪であることが証明された者を。そしてそれゆえに ……(歓声のために中断)…… そしてそれゆえに、我々の内部から必要ではない者を排除しなくてはならない。
我々の願望であり、決意でもあるのは、この領邦と国家が、今後一千年間存続しなくてはならないということである。我々が幸福でいられるのは、次のことが分かっているからである。すなわち、未来が余すところなく、我々のものだということである。年長の世代が、いつかよろよろになったときは、若者たちが身も心も我々に捧げ、我々のものになるのだ。我々の全面的な協力によって、党の中で国家社会主義の思想と本質を最大限に具体化させたときに、初めて党はドイツ国民と国家の永遠の破壊できない支柱になるだろう。
そして将来は、昔からの我々国民が誇る武器の担い手であるすばらしき栄光の陸軍と、それに劣らぬ強い伝統のある党の政治指導者が並んで歩むだろう。そしてこれらの両方の組織が共同でドイツの人々を教育し強固にして、彼らの双肩に、ドイツの領邦、ドイツ帝国を担わせるのである。
この時間、数万人の党の同志たちは、すでに町を去った。だが、まだ思い出に浸っている者がいる一方で、すでにつぎの点呼に向けて新たに準備を始めている者がいるだろう。そして再び、人々はやってきては去っていくだろう。そして常に新たに感動し、幸せを感じ、熱狂するだろう。なぜなら、その理念と運動は、我々の国民の活力の表現であり、それと共に永遠の象徴であるからである。国家社会主義運動万歳。ドイツ万歳。
党はヒトラーである。ヒトラーこそドイツである。ドイツがヒトラーであるように。ヒトラーに、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル。
『意志の勝利』は、日本では1942年に公開された。公開当時に施行されていた旧著作権法は、映画の著作権の保護期間を著作権者の死後38年間と定めていた。最高裁判所が、いわゆる「モダン・タイムス事件」において示した判例[12]を参照すると、レニ・リーフェンシュタールが本作品の著作権者として認定される可能性がある[注 28]。その場合には、日本国内においては、レニ・リーフェンシュタールが死去した2003年の38年後、2041年末まで著作権の保護期間が継続することになる。
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