大管区 (ナチ党)
ナチス党の地方組織 ウィキペディアから
大管区(だいかんく、ドイツ語: Gau、複数形:Gaue)とは、国家社会主義ドイツ労働者党の地方組織であり、ナチス・ドイツの事実上の行政区分である。
歴史
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ミュンヘン一揆の失敗とヒトラーの収監を経て、ナチ党は組織の再編成を行っていた。1925年、大管区指導者の称号が作られた。
1928年までに大管区指導者はナチ党内の階級にもなり、最終的に全国指導者の次席となった。
ナチ党の権力掌握後は大管区指導者の多くが国家代理官(独: Reichsstatthalter)に任命され[1]、ナチ党による全国支配を実行することとなった。
さらに1934年に、ドイツ国再建に関する法の成立に基づき、それまでの行政区分である州(ラント、独: Land、複数形: Länder)の機能をナチス・ドイツ政府が一時停止したことに伴って、国家の行政区画としての機能を始めた。
第二次世界大戦勃発後の1939年9月には国防管理官を兼任し、地域防衛の責任者となったことでさらに権力は大きくなった。
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ナチス・ドイツが滅びる1945年までに、合計で43の大管区が設置された[2]。その中には、オーストリア・チェコスロヴァキア・ポーランド・フランスなどの占領地域に設置された10個の帝国大管区と、大管区扱いとされた外国組織部(ドイツ語: Auslandsorganisation der NSDAP、略称:NSDAP/AO)が含まれる。大管区と帝国大管区に実際の機能の差はほとんど無く、都道府県の名称の違いと同様に考えればよい。
ナチ党組織としての大管区
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大管区はナチ党の地方組織の最大単位であり、ドイツ国内・国外(ザールラントやオーストリア等)を国会議員の選挙区に対応する30数個に分け、その下には、管区(Kreis)、地区(Ortsgruppe)、拠点分区(Stützpunkt、1939年廃止)、細胞(Zelle)、街区(Block)と呼ばれる単位が設置されていた。最少単位の街区は約50の世帯から構成されていた。
大管区指導者
→詳細は「大管区指導者」を参照
大管区指導者(ドイツ語: Gauleiter)とは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の役職・身分で、ナチ党の地区区分である大管区の指導者を指す。ナチズム下のドイツにおいては地方の最高権力者として扱われ、後に設置される帝国大管区においても大管区指導者が設置された。
大管区と州の関係
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ワイマール共和国から引き継いだ旧来の州(ラント)も、ドイツ国再建に関する法によって州議会は解散され、大管区指導者の多くが国家代理官に任命されたものの[# 1]、ナチス・ドイツ時代を通じて廃止されたわけではなく、大管区と並存し続けた。州を廃止する計画は存在したが、アドルフ・ヒトラーは、地域政党の指導者たちに混乱を引き起こすことを避けたため、帝国改革(ライヒスレフォルム、独: Reichsreform)と呼ばれたその構造改革を実行しなかった。
同様の理由から、大管区の境界も同様に変更されることは無かった。大管区はナチス・ドイツが巨大化していくに従って大きくなっていった[3]。一方で州もまた存続したが、実権は大管区指導者が握ったため、州首相(独: Ministerpräsident)は形式的な職責であった。
大管区指導者は、ヒトラーによって直接任命され、総統たる彼にのみ責任を負った。しかし、実務面ではヒトラーからの干渉は無いに等しく、彼らは絶対的な権力者として大管区に君臨した[1]。
第二次世界大戦勃発後の1939年9月1日には、政府評議会が出した命令によって、18の軍管区に所属する18人の全国防衛委員(国防管理官)が大管区指導者より任命され、地域防衛の責任者となったことで、さらに権力は大きくなった[4]。さらに、すべての大管区指導者が1942年4月6日に大管区労働配置管理官に任命され、11月16日には全国防衛委員へ任命された[5]。
帝国大管区
→詳細は「帝国大管区」を参照
帝国大管区は、1938年から1945年にナチス・ドイツによって、主に併合された領土により構成され、設置された行政区分の名称である。また帝国大管区の大管区指導者は全員が国家代理官を兼任し、大管区と政府行政が最大限に近接していた[5]。
大管区の一覧
要約
視点
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43大管区[6]
1925年から1945年にかけて大管区の設置、廃止、合併が行われた。最終的には43の大管区が存在した。
- バーデン=エルザス大管区(独: Gau Baden-Elsass der NSDAP)
- 大管区都:カールスルーエ(1925年 - 1940年)、シュトラースブルク(1940年 - 1945年)。
- バーデン共和国の領域から構成される大管区。1925年3月に設置され、当初はバーデン大管区(独: Gau Baden der NSDAP)であった。1941年3月22日にアルザス民政地域(アルザス地域圏、オー=ラン県・バ=ラン県)を統合し、バーデン=エルザス大管区に改称した。この大管区は、オーバーライン帝国大管区に改称する計画があった。
- 歴代大管区指導者
- ロベルト・ヴァーグナー
- カール・レンツ
- ヴァルター・ケーラー
- 空位
- ヘルマン・レーン
- バイロイト大管区(独: Gau Bayreuth der NSDAP)
- 大管区都:バイロイト。
- バイエルン自由州の東部から構成される大管区である。1933年1月19日にオーバーフランケン大管区・ニーダーバイエルン=オーバープファルツ大管区が合併して作られた。1942年6月2日に改名されるまではバイエルン=オストマルク大管区(独: Gau Bayerische Ostmark der NSDAP)大管区といった。
- 1938年のズデーテン地方要求によって、隣接するチェコスロヴァキア領(プルゼニ州クラトヴィ郡・南ボヘミア州プラハチツェ郡)が編入された。
- 歴代大管区指導者
- フリッツ・ヴェヒトラー
- ルートヴィヒ・ルックデシェル
- ルートヴィヒ・ルックデシェル
- 大ベルリン大管区(独: Gau Groß-Berlin der NSDAP)
- 大管区都:ベルリン。
- プロイセン自由州の大ベルリンから構成される。1928年10月1日に、ベルリン=ブランデンブルク大管区から分割された。
- 歴代大管区指導者
- ハンス・マインスハウゼン
- アルトゥル・ゲルリッツァー
- ヨハネス・エンゲル(暫定(?))
- ゲルハルト・シャッハ
- ダンツィヒ=ヴェストプロイセン帝国大管区(独: Reichsgau Danzig-Westpreußen der NSDAP)
- 大管区都:ダンツィヒ。
- 1926年に3月11日にダンツィヒ地区(Ortgruppe Danzig der NSDAP)より昇格。当初は自由都市ダンツィヒ大管区(独: Gau Freie Stadt Danzig der NSDAP)と言った。1939年10月26日の総統命令によりダンツィヒ大管区に東プロイセン大管区の5管区(エルビング、マリーエンブルク、マリーエンヴェルダー、ローゼンベルク、シュトゥーム)及び旧ポーランド領ポモージェ県(ヴァルテラント帝国大管区に組み込まれた5郡を除く)が組み込まれ、ダンツィヒ=ヴェストプロイセン帝国大管区へと拡大した。
- 歴代大管区指導者
- ハンス・アルベルト・ホーンフェルト
- 空位
- ヴァルター・マース(暫定)
- エーリヒ・コッホ(暫定)
- アルトゥール・グライザー(暫定)
- ヴァルター・マース
- 空位
- オットー・アンドレス
- ゲルハルト・ゼーガー(Gerhard Seeger)
- デュッセルドルフ大管区(独: Gau Düsseldorf der NSDAP)
- 大管区都:デュッセルドルフ。
- 1930年8月1日、大管区独立区ベルギッシェス=ラント=ニーダーライン(gauunabhängigen Bezirk Bergischs-Land-Niderrhein der NSDAP)から昇格。プロイセン自由州のライン県の北部から構成される。
- 歴代大管区指導者
- フリードリヒ・カール・フローリアン
- ヴェルナー・カイスナー
- カール・オーヴァーフース
- エッセン大管区(独: Gau Essen der NSDAP)
- 大管区都:エッセン。
- 1928年8月1日、大ルール大管区のエッセン区(Bezirk Essen der NSDAP)が大管区に昇格。プロイセン自由州のライン県の北端から構成される。
- 歴代大管区指導者
- フリッツ・シュレスマン
- 空位
- ハンス・ヴァイデマン
- ハインリヒ・ウンガー
- 空位
- フリッツ・シュレスマン
- フランケン大管区(独: Gau Franken der NSDAP')
- 大管区都:ニュルンベルク。
- バイエルン自由州の領域から構成される。1929年3月1日に南ミッテルフランケン下級大管区とニュルンベルク=フュルト下級大管区が合併して作られた。1935年に改名されるまではミッテルフランケン大管区(独: Gau Mittelfranken der NSDAP)といった。
- 歴代大管区指導者
- 空位
- カール・ホルツ
- 不明
- カール・ホルツ
- 空位
- カール・ホルツ
- ハレ=メルゼブルク大管区(独: Gau Halle-Merseburg der NSDAP)
- 大管区都: ハレ。
- 1925年6月27日に設置。プロイセン自由州のザクセン県の南半分から構成される。
- 歴代大管区指導者
- ヴァルター・エルンスト
- ルドルフ・ヨルダン
- フリッツ・ティーベル
- カール・ジーモン
- ヴァルター・ティースラー
- 空位
- ゲオルク・テッシェ
- ハンブルク大管区(独: Gau Hamburg der NSDAP)
- 大管区都:ハンブルク。
- 1925年3月に設置。1926年11月4日より地区(Ortsgruppe)に降格。1928年2月26日、再び大管区に昇格。ハンブルク自由市から構成される。
- 歴代大管区指導者
- ヨーゼフ・クラント
- アルベルト・クレープス
- ヴィルヘルム・ヒュットマン
- ヒンリヒ・ローゼ(暫定)
- ヴィルヘルム・フォン・アルヴェルデン
- ハリー・ヘニングゼン
- ヘッセン=ナッサウ大管区(独: Gau Hessen-Nassau der NSDAP)
- 大管区都:フランクフルト・アム・マイン。
- ヘッセン人民州とプロイセン自由州のヘッセン・ナッサウ県の南半分から構成される。この大管区は、1932年12月31日に南ヘッセン=ナッサウ大管区とヘッセン=ダルムシュタット大管区が合併して生まれた。
- 歴代大管区指導者
- ヤーコプ・シュプレンガー
- カール・リンダー
- ヴァルター・ハイゼ(代行(?))
- ハインリヒ・ライナー
- カール・リンダー
- ケルンテン帝国大管区(独: Reichsgau Kärnten der NSDAP)
- 大管区都:クラーゲンフルト。
- 1926年8月(?)に設置。1940年3月15日に帝国大管区になる。ケルンテン州から構成される。1941年にユーゴスラヴィア(現スロヴェニア)に設置されたケルンテン・クライン民政地域[7]が編入された。
- 歴代大管区指導者
- ハンス・マーツェナウアー(Hans Mazenauer)
- フーゴ・ヘルツォーク(Hugo Herzog)
- ハンス・フォム・コーテン
- フーベルト・クラウスナー
- モーリッツ・チャイチュナー(Moritz Czeitschner)(職務代行)
- フランツ・ルドルフ(Franz Rudolf)
- (不明)
- ペーター・ファイストリッツアー
- フランツ・クッチェラ(職務代行)
- フーベルト・クラウスナー
- フランツ・クッチェラ(職務代行)
- フリードリヒ・ライナー
- ハンス・シェリアウ
- フーゴ・ヘルツォーク(Hugo Herzog)
- ハンス・フォム・コーテン
- フリードリヒ・ライナー
- フリードリヒ・ティーメル(Friedrich Thimel)
- ケルン=アーヘン大管区(独: Gau Köln-Aachen der NSDAP)
- 大管区都:ケルン。
- 1931年6月1日に、ラインラント大管区を分割した結果作られた。プロイセン州のライン県の北部中央から構成される。
- 歴代大管区指導者
- ヨーゼフ・グローエ
- ルドルフ・シュメーア
- リヒャルト・シャラー
- クールヘッセン大管区(独: Gau Kurhessen der NSDAP)
- 大管区都:カッセル。
- 1925年にヘッセン=ナッサウ大管区(初代)を分割した結果作られた。1934年までは、北ヘッセン=ナッサウ大管区(独: Gau Hessen-Nassau-Nord der NSDAP)と言った。1927年3月1日にヘッセン人民州とプロイセン州ヘッセン=ナッサウ県においてナチ党の再編成が行われた際に、北ヘッセン=ナッサウ大管区と南ヘッセン=ナッサウ大管区(初代)の2つの大管区はヘッセン大管区、北ヘッセン=ナッサウ大管区、南ヘッセン=ナッサウ大管区の3つに再分割された。プロイセン州のヘッセン=ナッサウ県の北半分から構成される。
- 歴代大管区指導者
- ヴァルター・シュルツ
- カール・ヴァインリヒ(職務代行)
- カール・ヴァインリヒ
- カール・ゲルラント
- フリッツ・レンゲマン
- ハンス・ブルクハルト
- マックス・ゾルブリヒ
- マクデブルク=アンハルト大管区(独: Gau Magdeburg-Anhalt der NSDAP)
- 大管区都:デッサウ。
- 1927年4月1日にアンハルト大管区、エルベ=ハーフェル大管区、マグデブルク大管区が合併して作られた。1928年10月1日に改名されるまではアンハルト=ザクセン県北大管区(独: Gau Anhalt-Provinz Sachsen Nord)といった。アンハルト自由州とプロイセン自由州のザクセン県から構成される。
- 歴代大管区指導者
- ヴィルヘルム・フリードリヒ・レーパー
- パウル・ホーフマン
- ヴィルヘルム・フリードリヒ・レーパー
- ヨアヒム・アルブレヒト・エッゲリンク(職務代行)
- ルドルフ・ヨルダン
- パウル・ホフマン
- 空位
- ルドルフ・トラウトマン
- マインフランケン大管区(独: Gau Mainfranken der NSDAP、en)
- 大管区都:ヴュルツブルク。
- 1928年10月1日に北バイエルン大管区より分割されたウンターフランケン下級大管区(独: Untergau Unterfranken der NSDAP)が、1929年に大管区に昇格。1935年までは、ウンターフランケン大管区(独: Gau Unterfranken der NSDAP)という名称であった。バイエルン自由州の一部である、ウンターフランケン地方とマイン川流域から構成された。
- 歴代大管区指導者
- オットー・ヘルムート
- ルートヴィヒ・ペースル
- ヴィルヘルム・キューンライヒ
- マルク・ブランデンブルク大管区(独: Gau Mark Brandenburg der NSDAP、en)
- 管区都:ベルリン。
- 1933年4月にブランデンブルク大管区とオストマルク大管区が合併して作られた。当初は、クーアマルク大管区(独: Gau Kurmark der NSDAP)という名称であり1939年1月31日に改称された。プロイセン自由州のブランデンブルク県のベルリン周縁部を除いた部分から構成される。
- 歴代大管区指導者
- エミール・シュテュルツ
- ヴェルナー・シュムック
- パウル・ヴェーゲナー
- ヴィクトル・フォン・ポドビエルスキ(職務代行)
- ハンス・ボフィンガー(?)
- (1944年)
- メクレンブルク大管区(独: Gau Mecklenburg der NSDAP)
- 管区都:シュヴェリーン
- 1925年3月22日に設置される。1937年3月31日にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン大管区にリューベックが編入されるまでは、メクレンブルク=リューベック大管区(独: Gau Mecklenburg-Lübeck der NSDAP)という名称であった。メクレンブルク=シュトレーリッツ自由州とメクレンブルク=シュヴェリーン自由州(1934年に合併してメクレンブルク州となる)から構成される。
- 歴代大管区指導者
- フリードリヒ・ヒルデブラント
- ヘルベルト・アルブレヒト(暫定)
- フリードリヒ・ヒルデブラント
- ロベルト・シュルツ
- オットー=ハインリヒ・ドレヒスラー
- ルドルフ・シルトマン
- ゲルト・フォン・ケルバー
- モーゼルラント大管区(独: Gau Moselland der NSDAP)
- 大管区都:コブレンツ
- 1931年6月1日に、ラインラント大管区を分割した結果作られた。1942年までは、コブレンツ=トリーア大管区(独: Gau Koblenz-Trier der NSDAP)という名称であった。プロイセン自由州のライン県の南半分から構成され、1942年にはルクセンブルク民政長官地域が編入された。
- 歴代大管区指導者
- フリッツ・レックマン
- ミュンヘン=上バイエルン大管区(独: Gau München-Oberbayern der NSDAP、en)
- 大管区都:ミュンヘン
- 1930年11月16日にオーバーバイエルン大管区と大ミュンヘン大管区が合併して作られた。バイエルン自由州の一部分から構成される。
- 歴代大管区指導者
- オットー・ニッポルト
- ヨアヒム・フォン・モルトケ(暫定)
- 空位
- ニーダードナウ帝国大管区(独: Reichsgau Niederdonau der NSDAP)
- 管区都:ヴィーン
- 1938年2月21日にニーダーエスターライヒ大管区が廃止された後の、5月21日にニーダードナウ大管区として再設置された。1940年3月15日に帝国大管区となる。ニーダーエスターライヒ州から構成され、ズデーテンラント南部も含む。
- 歴代大管区指導者
- フーゴ・ユーリイ
- カール・ゲルラント
- 空位
- ニーダーシュレージエン大管区(独: Gau Niederschlesien der NSDAP)
- 大管区都:ブレスラウ
- 1941年1月にシュレージエン大管区を分割して作られた。プロイセン自由州のニーダーシュレージエン県から構成される。
- 歴代大管区指導者
- オーバードナウ帝国大管区(独: Reichsgau Oberdonau der NSDAP)
- 大管区都:リンツ
- 1938年2月22日にオーバーエスターライヒ大管区が廃止された後の、5月22日にオーバードナウ大管区として再設置された。1940年3月15日に帝国大管区となる。オーバーエスターライヒ州から構成され、ズデーテンラント南部を含む。
- 歴代大管区指導者
- ハンス・アイゼンコルプ
- クリスティアン・オプデンホフ
- オーバーシュレージエン大管区(独: Gau Oberschlesien der NSDAP)
- 管区都:カトヴィッツ
- 1941年1月にシュレージエン大管区を分割して作られた。プロイセン自由州のオーバーシュレージエン県と、占領した旧ポーランド領から構成される。
- 歴代大管区指導者
- フリッツ・ブラハト
- ルドルフ・メッツナー(職務代行)
- アルベルト・ホフマン
- 空位
- ルドルフ・メッツナー
- 東ハノーファー大管区(独: Gau Ost-Hannover der NSDAP)
- 大管区都リューネブルク
- 1925年3月に設置。1925年12月に改名されるまではリューネブルク=シュターデ大管区(独: Gau Lüneburg-Stade der NSDAP)といった。プロイセン自由州のハノーファー県の西部を除いた部分から構成される。
- 歴代大管区指導者
- オットー・テルショウ
- ヘルマン・エーザー
- 不明
- ゲオルク・ヴァイデンヘーファー
- オットー・ガーケンホルツ
- ハインリヒ・ペーパー
- 東プロイセン大管区(独: Gau Ostpreußen der NSDAP)
- 大管区都:ケーニヒスベルク
- 1925年に設置。プロイセン自由州の東プロイセン県から構成される。1939年10月26日の総統命令により東プロイセン大管区の5管区(エルビング、マリーエンブルク、マリーエンヴェルダー、ローゼンベルク、シュトゥーム)がダンツィヒ大管区に編入され、また占領した隣接する旧ポーランド領が併合された。
- 歴代大管区指導者
- ヴィルヘルム・シュティヒ(Wilhelm Stich)
- ブルーノ・グスタフ・シェルヴィッツ
- ハンス・アルベルト・ホーンフェルト(暫定)
- 空位
- ヴァルデマール・マグニア
- ダゴベルト・デュル(Dagobert Dürr)
- フェルディナント・グロースヘル
- ポンメルン大管区(独: Gau Pommern der NSDAP)
- 大管区都:シュテッティーン
- 1925年3月22日に設置。プロイセン自由州のポンメルン県から構成される。
- 歴代大管区指導者
- テオドール・ファーレン
- ヴァルター・フォン・コルスヴァント[# 2]
- ヴィルヘルム・カルペンシュタイン
- フランツ・シュヴェーデ=コーブルク
- ヴァルター・フォン・コルスヴァント
- ロベルト・シュルツ
- オットー・ヘルクト
- マスコウ(Maskow)
- (1934年(?))
- マックス・ティートベール(第二大管区指導者代理)
- ロベルト・シュルツ
- アルトゥール・カウフマン
- パウル・ジーモン
- ザクセン大管区(独: Gau Sachsen der NSDAP)
- 大管区都:ドレスデン
- 1921年10月に設置されたが、ミュンヘン一揆の失敗により解散する。1925年2月26日に再設置される。ザクセン自由州から構成される。
- 歴代大管区指導者
- フリッツ・ティトマン
- マルティン・ムッチュマン
- アルベルト・ヴィーアハイム
- カール・フリッチュ
- 空位
- ザルツブルク帝国大管区(独: Reichsgau Salzburg der NSDAP)
- 大管区都:ザルツブルク
- 1926年8月に設置。1928年10月1日にチロル大管区、フォアアールベルク大管区と合併して西部大管区となるが、1932年7月1日に分割されて再設置される。1940年3月15日に帝国大管区となる。ザルツブルク州から構成される。
- 歴代大管区指導者
- ヨーゼフ・ヴェーバー(Josef Weber)(?)
- レオポルト・マリーナ(Leopold Malina)
- ヨーゼフ・コラー(Josef Koller)
- ハインリヒ・ズスケ(Heinrich Suske)
- ニコラウス・ドナート(Nikolaus Donat)
- ルドルフ・リーデル(Rudolf Reidl)
- (1932年)
- カール・シャリツァー
- ヘルマン・ブーフライトナー(Hermann Buchleitner)
- (不明)
- アントン・ヴィンターシュタイガー
- イェンネヴァイン(Jennewein)
- (1935年)
- フリードリヒ・ライナー
- アントン・ヴィンターシュタイガー
- シュレースヴィヒ=ホルシュタイン大管区(独: Gau Schleswig-Holstein der NSDAP)
- 大管区都:キール。
- 1925年2月に設置。プロイセン自由州のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン県とリューベック自由市に加え、オルデンブルク自由州の外縁部から構成される。
- 歴代大管区指導者
- ヨアヒム・マイアー=クヴァーデ
- エミール・ブリックス
- ヴィルヘルム・ジー
- シュヴァーベン大管区(独: Gau Schwaben der NSDAP、en)
- 管区都:アウクスブルク
- 1928年10月1日にオーバーバイエルン=シュヴァーベン大管区を分割した結果作られた。バイエルン自由州の一部から構成される。
- 歴代大管区指導者
- カール・ヴァール
- マティエス・ケルナー(Mathies Kellner)
- フランツ・シュミット
- ゲオルク・トレーク
- アントン・ミュンドラー(職務代行)
- シュタイアーマルク帝国大管区(独: Reichsgau Steiermark der NSDAP)
- 大管区都:グラーツ
- 1926年8月に設置。シュタイアーマルク州から構成され、ブルゲンラント州の一部を含む。ユーゴスラヴィア(現スロヴェニア)に設置された下シュタイアーマルク民政長官地域[7]も1941年編入された。
- 歴代大管区指導者
- フリッツ・クナウス
- ハインリヒ・K・シュミット(Heinrich K. Schmidt)
- フェルディナント・クリューグラー(Ferdinand Krügler)
- ヴァルター・オーバーハイダッハー
- オットー・クリスタンデル(職務代行)
- ライムント・ヘルト(Reimund Held)
- ハインリヒ・パーグル(Heinrich Pagl)
- カール・プフラグナー(Karl Pfragner)
- ヴァルター・ラフェルスベルガー
- ハンス・ゲオルク・ビルゲリ
- ハインリヒ・パーグル(Heinrich Pagl)
- ハンス・ゲオルク・ビルゲリ
- (1935年)
- ライムント・ヘルト(Reimund Held)
- ゼップ・ヘルフリヒ
- 空位(?)
- ゼップ・ヘルフリヒ
- ヴァルター・オーバーハイダッハー
- (1928年)
- フリッツ・クナウス
- ハンス・ゲオルク・ビルゲリ
- オットー・クリスタンデル
- トビアス・ポルチー
- ズデーテンラント帝国大管区(独: Reichsgau Sudetenland der NSDAP)
- 大管区都:ライヒェンベルク
- 1938年10月30日に設置。ミュンヘン協定でチェコスロヴァキアからナチス・ドイツに割譲された地域の一部である、ズデーテンラントから構成された。
- 歴代大管区指導者
- フリッツ・ケルナー
- リヒャルト・ドンネヴェルト
- ヘルマン・ノイブルク(職務代行)
- 南ハノーファー=ブラウンシュヴァイク大管区(独: Gau Süd-Hannover-Braunschweig der NSDAP)
- 大管区都:ハノーファー
- ブラウンシュヴァイク自由州とプロイセン自由州のハノーファー県の西部・南部から構成される。1928年10月1日に、北ハノーファー・南ハノーファー両大管区が合併して生まれた。
- 歴代大管区指導者
- ハルトマン・ラウターバッハー
- カール・ディンクラーゲ
- ゲレット・コルゼマン
- クルト・シュマルツ
- オットー・ガーケンホルツ(代行(?))
- ハルトマン・ラウターバッハー
- 空位(?)
- アウグスト・クノップ
- テューリンゲン大管区(独: Gau Thüringen der NSDAP)
- 大管区都:ヴァイマル
- 1925年に設置。テューリンゲン州と隣接したザクセン自由州から構成される。
- 歴代大管区指導者
- アルトゥール・ディンター
- ハンス・ゼヴェールス・ツィーグラー
- ヴィリー・マルシュラー
- フリッツ・ヴェヒトラー
- ハインリヒ・ジークマイアー
- チロル=フォアアールベルク帝国大管区(独: Reichsgau Tirol-Vorarlbearg der NSDAP)
- 管区都:インスブルック
- チロル州(東チロルを除く)とフォアアールベルク州から構成される大管区。1938年5月22日にチロル大管区とフォアアールベルク大管区が合併して作られた。1940年3月15日に帝国大管区になる。
- 歴代大管区指導者
- 空位
- ヘルベルト・パルゾン
- ヴァルテラント帝国大管区(独: Reichsgau Wartheland der NSDAP)
- 管区都:ポーゼン
- ポズナン県、ウッチ県のほとんど、ポモージェ県の5つの郡、ワルシャワ県の1つの郡から成っていた。1940年1月29日まではポーゼン大管区(独: Gau Posen der NSDAP)といった。
- 歴代大管区指導者
- ロベルト・シュルツ(代行)
- クルト・シュマルツ
- ヴェーザー=エムス大管区(独: Gau Weser-Ems der NSDAP)
- 大管区都:ブレーメン
- 1928年10月1日に北ハノーファー大管区より分割されて設置。オルデンブルク自由州の内縁部とブレーメン州、プロイセン自由州のハノーファー県の最西部から構成される。
- 歴代大管区指導者
- カール・レーヴァー
- パウル・ヴェーゲナー
- ゲオルク・ヨエル(職務代行)
- ハインツ・シュパンゲマッハー
- ゲオルク・ヨエル
- 北ヴェストファーレン大管区(独: Gau Westfalen-Nord der NSDAP)
- 大管区都:ミュンスター。
- 1931年1月1日にヴェストファーレン大管区が南北に分割されて設置された。リッペ自由州とプロイセン自由州のヴェストファーレン県の北半分から構成される。
- 歴代大管区指導者
- ペーター・シュタンギーア
- 南ヴェストファーレン大管区(独: Gau Westfalen-Süd der NSDAP)
- 大管区都:ボーフム
- 1931年1月1日にヴェストファーレン大管区が南北に分割されて設置された。プロイセン自由州のヴェストファーレン県の南半分から構成される。
- 歴代大管区指導者
- ヨーゼフ・ヴァーグナー
- アルベルト・ホフマン
- エミール・シュテュルツ
- フリッツ・ブラハト(暫定)
- ハインリヒ・フェッター
- ヴェストマルク大管区(独: Gau Westmark der NSDAP)
- 大管区都:ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ、1940年にザールブリュッケン、1944年に再びノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ
- バイエルン州のプファルツ地方とザールラントから構成される。1935年にザールラントのドイツ復帰が決定すると、3月1日にザールラント大管区[8]とライン=プファルツ大管区を統合してプファルツ=ザール大管区(独: Pfalz-Saar)が設置された。1937年にザールプファルツ大管区(独: Saarpfalz、en)に改称され、さらに1940年夏にロートリンゲン地方が併合されると、ヴェストマルク大管区へ改称された。この大管区は帝国大管区へと改編する計画があった。詳しくは帝国大管区#フランスを参照。
- 歴代大管区指導者
- ヴィリ・シュテーア
- エルンスト・ルートヴィヒ・ライザー(職務代行)
- フリッツ・シュヴィッツゲーベル
- エルンスト・ルートヴィヒ・ライザー(職務代行)
- ヴィリ・シュテーア
- 空位
- ウィーン帝国大管区(独: Reichsgau Wien der NSDAP)
- 大管区都:ウィーン。
- 1926年に設置された。「大ウィーン」として特別市のようにそれ単体でひとつの大管区とされた。1940年3月15日に帝国大管区になる。
- 歴代大管区指導者
- ヴァルター・レントマイスター(Walter Rentmeister)
- オイゲン・ヴェルコヴィッチ
- ロベルト・デルダ(Robert Derda)
- 空位(?)
- フランツ・リヒター(職務代行)
- レオポルト・タフス(Leopold Tavs)
- フランツ・リヒター(職務代行)
- フランツ・リヒター
- 空位
- カール・シャリツァー
- ヴュルテンベルク=ホーエンツォレルン大管区(独: Gau Württemberg-Hohenzollern der NSDAP)
- 大管区都:シュツットガルト。
- 1925年に設置された。ヴュルテンベルク自由人民州とプロイセン自由州のホーエンツォレルン県から構成される。
- 歴代大管区指導者
- オイゲン・ムンダー
- ヴィルヘルム・ムア
- アーノルト・ヴァルトシュミット
- グントラッハ(Gundlach)
- フリードリヒ・シュミット
- 空位
- 外国組織部(独: Auslandsorganisation der NSDAP)
- 本部:ハンブルク。1935年3月以降、ベルリン。
- 1931年5月に党組織全国指導者グレゴール・シュトラッサーにより国外の国家社会主義ドイツ労働者党党員を統括する党外国部(Auslandsabteilung der NSDAP)が創設される。1934年2月17日に外国組織部(Auslandsorganisation der NSDAP)に改称され、大管区とみなされた。
- 歴代大管区指導者
- ハンス・ニーラント
- 空位
- アルフレート・ヘス
- ヴィリー・グローテ
初期の大管区[9]
- アンハルト大管区(独: Gau Anhalt der NSDAP)
- 大管区都:デッサウ
- 1925年4月に設置される。1927年4月1日にエルベ=ハーフェル大管区、マグデブルク大管区と合併しアンハルト=ザクセン県北大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- グスタフ・ヘルマン・シュミシュケ
- ヴィルヘルム・フリードリヒ・レーパー
- 大ベルリン大管区(初代)(独: Gau Groß-Berlin der NSDAP)
- 大管区都:ベルリン
- 1925年3月に設置される。1926年11月にブランデンブルク大管区(初代)と合併し、ベルリン=ブランデンブルク大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- エルンスト・シュランゲ
- エーリヒ・シュミーディッケ
- エーリヒ・シュミーディッケ
- ベルリン=ブランデンブルク大管区(独: Gau Berlin-Brandenburg der NSDAP)
- 大管区都:ベルリン
- 1926年11月に大ベルリン大管区(初代)とブランデンブルク大管区(初代)が合併して作られた。1928年10月1日に大ベルリン大管区とブランデンブルク大管区に分割された。
- 歴代大管区指導者
- エミール・ホルツ(第二大管区指導者代理)
- ブランデンブルク大管区(初代)(独: Gau Brandenburg der NSDAP)
- 大管区都:ポツダム
- 1925年に設置され、当初はポツダム大管区(独: Gau Potsdam der NSDAP)といった。1926年11月に大ベルリン大管区(初代)と合併しベルリン=ブランデンブルク大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- ヴィルヘルム・クラウニヒ(Wilhelm Klaunig)
- 不明
- ブランデンブルク大管区(独: Gau Brandenburg der NSDAP)
- 大管区都:ベルリン
- 1928年10月1日にベルリン=ブランデンブルク大管区を分割されて設置された。1933年4月にオストマルク大管区と合併してクーアマルク大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- エミール・ホルツ
- エルンスト・シュランゲ
- エーリヒ・シュミーディッケ
- エーリヒ・シュミーディッケ
- ブルゲンラント大管区(独: Gau Burgenland der NSDAP)
- 1935年5月にニーダーエスターライヒ大管区の3区(Bezirk)とシュタイアーマルク大管区の4区から作られた。1938年10月1日に分割され、ニーダードナウ大管区及びシュタイアーマルク大管区に分割統合された。
- 歴代大管区指導者
- トビアス・ポルチー
- ヘルムート・ブライマン
- ヘルムート・ブライマン
- エルベ=ハーフェル大管区(独: Elbe-Havel-Gau der NSDAP)
- 大管区都:マグデブルク、1926年1月よりブランデンブルク。
- 1925年に設置。1927年4月1日にアンハルト大管区、マグデブルク大管区と合併しアンハルト=ザクセン県北大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- アロイス・バッハシュミット
- 不明
- 大ミュンヘン大管区(独: Gau Groß-München der NSDAP)
- 大管区都:ミュンヘン
- 1929年11月1日にオーバーバイエルン大管区からミュンヘン地区(Ortsgruppe)が分割され大管区に昇格。1930年11月16日にオーバーバイエルン大管区と合併してミュンヘン=オーバーバイエルン大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- 北ハノーファー大管区(独: Gau Hannover-Nord der NSDAP)
- 大管区都:ハノーファー
- 1925年3月に設置。当初はハノーファー大管区(独: Gau Hannover der NSDAP)という名称であり、ハノーファー=ブラウンシュヴァイク大管区(独: Gau Hannover-Braunschweig der NSDAP)を経て北ハノーファー大管区に改称される。1928年10月1日に南ハノーファー大管区と合併し南ハノーファー=ブラウンシュヴァイク大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- カール・ディンクラーゲ
- 南ハノーファー大管区(独: Gau Hannover-Süd der NSDAP)
- 大管区都:ゲッティンゲン
- 1925年3月に設置。当初はゲッティンゲン大管区(独: Gau Göttingen der NSDAP)という名称であり1925年12月に改称された。1928年10月1日に北ハノーファー大管区と合併し南ハノーファー=ブラウンシュヴァイク大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- ルドルフ・ハーゼ
- ヘルマン・フォプケ
- ヘッセン=ダルムシュタット大管区(独: Gau Hessen-Darmstadt der NSDAP)
- 大管区都:ダルムシュタット
- 1927年3月1日にヘッセン人民州とプロイセン州ヘッセン=ナッサウ県においてナチ党の再編成が行われた際に、北ヘッセン=ナッサウ大管区と南ヘッセン=ナッサウ大管区(初代)の2つの大管区がヘッセン大管区(独: Gau Hessen der NSDAP)、北ヘッセン=ナッサウ大管区、南ヘッセン=ナッサウ大管区の3つに再分割された。ヘッセン大管区は後にヘッセン=ダルムシュタット大管区へ改称する。1932年12月31日に南ヘッセン=ナッサウ大管区と合併してヘッセン=ナッサウ大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- フリードリヒ・リングスハウゼン
- ペーター・ゲマインダー
- カール・レンツ
- ヘッセン=ナッサウ大管区(初代)(独: Gau der NSDAP)
- 1925年3月に設置。1925年の終わりに南ヘッセン=ナッサウ大管区(初代)と北ヘッセン=ナッサウ大管区に分割された。
- 歴代大管区指導者
- ヴァルター・シュルツ
- 南ヘッセン=ナッサウ大管区(初代)(独: Gau Hessen-Nassau-Süd der NSDAP)
- 大管区都:フランクフルト・アム・マイン
- 1925年にヘッセン=ナッサウ大管区(初代)を分割した結果作られた。1927年3月1日にヘッセン人民州とプロイセン州ヘッセン=ナッサウ県においてナチ党の再編成が行われた際に、北ヘッセン=ナッサウ大管区と共にヘッセン大管区(独: Gau Hessen der NSDAP)、北ヘッセン=ナッサウ大管区、南ヘッセン=ナッサウ大管区の3つに再分割された。
- 歴代大管区指導者
- アントン・ハーゼルマイアー
- ヴァルター・シュルツ(暫定)
- カール・リンダー
- 南ヘッセン=ナッサウ大管区(独: Gau Hessen-Nassau-Süd der NSDAP)
- 大管区都:フランクフルト・アム・マイン
- 1927年3月1日にヘッセン人民州とプロイセン州ヘッセン=ナッサウ県においてナチ党の再編成が行われた際に、北ヘッセン=ナッサウ大管区と南ヘッセン=ナッサウ大管区(初代)の2つの大管区がヘッセン大管区(独: Gau Hessen der NSDAP)、北ヘッセン=ナッサウ大管区、南ヘッセン=ナッサウ大管区の3つに再分割された。1932年12月31日にヘッセン=ダルムシュタットと合併してヘッセン=ナッサウ大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- カール・リンダー
- ヤーコプ・シュプレンガー
- カール・リンダー
- カール・リンダー
- リューベック=ラッツェブルク下級大管区(独: Untergau Lübeck-Ratzeburg-Land der NSDAP)
- 1926年11月に設置されたが、1927年5月に廃止された。
- 歴代大管区指導者
- ロベルト・シュルツ
- マクデブルク大管区(独: Gau Magdeburg der NSDAP)
- 大管区都:マクデブルク
- 1925年8月、ハルバーシュタット地区(Ortgruppe Halberstadt)より昇格。1926年8月に改称するまではハルツ大管区(独: Harzgau der NSDAP)といった。1927年4月1日にエルベ=ハーフェル大管区、アンハルト大管区と合併しアンハルト=ザクセン県北大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- ルートヴィヒ・フィーアエック(Ludwig Viereck)
- 南ミッテルフランケン下級大管区(独: Untergau Mittelfranken-West der NSDAP)
- 大管区都:ニュルンベルク
- 1928年に北バイエルン大管区を分割した結果作られた。1929年3月1日にニュルンベルク=フュルト下級大管区と合併してフランケン大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- ニーダーバイエルン大管区(初代)(独: Gau Niederbayern der NSDAP)
- 大管区都:ランツフート
- 1925年2月に設置。1926年にオーバープファルツ大管区と合併してオーバープファルツ=ニーダーバイエルン大管区となる。
- 歴代大管区指導者
- (1926年)
- ニーダーバイエルン大管区(二代)(独: Gau Niederbayern der NSDAP)
外部リンク
- Shoa.de - List of Gaue and Gauleiter (独語) (2008年4月10日時点のアーカイブ)
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