忠類駅
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忠類駅(ちゅうるいえき)は、北海道(十勝支庁)広尾郡忠類村(現・幕別町)字忠類にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)広尾線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲111509[2]。
所在地名(旧村名)より。現在忠類市街付近を流れるセオトーブイ川のアイヌ語名とされる、「チウルイトプイ(chiu-rui-topui)」(流れ・激しい・当縁川〔の支流〕)の前半部に字を当てたものでる[4]。
廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の南東側(広尾方面に向かって左手側)に存在した[5]。かつては2面2線の相対式ホームを有する、列車交換が可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎の反対側の1線は、交換設備運用廃止後も側線として残っていた(但し1983年(昭和58年)時点では、プラットホームは撤去されていた[5])。そのほか、本線広尾方から駅舎側に分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、また上記旧交換線である側線の帯広方から分岐し広尾方も接続する側線を1線有していた[5]。
廃駅後は忠類村により旧駅構内が買い取られ、1988年(昭和63年)に「交通公園」[7]として整備され、駅舎は「忠類鉄道資料館」となった[8]。しばらくの間は構内が当時の姿のまま残されていた。その後村が老朽化を理由に公園を廃止し宅地とする、という計画が決定されたが、存続を望む声が多数寄せられ[9]、その結果、駅舎周辺部に規模を縮小しながらも存続している[10]。
1999年(平成11年)時点[9]、2010年(平成22年)時点[10]、2011年(平成23年)時点[11]でも継続して存続している。駅舎、ホーム、レール、駅名標などが当時の状態に修復されて保存されている[11]。旧駅舎内には料金表や備品が保存・展示され、線路(側線)上に帯広方から順にワム80000形有蓋車ワム187865、トラ70000形無蓋車トラ74718、ヨ6000形車掌車ヨ7908、の3両が[8]連結して静態保存・展示されている[11]。上記の規模縮小の結果、レールはホーム端の部分で終わっているが、線路跡が続いている様子も判別できる[11]。なお、現在はホームが多少老朽化しており近づく際には注意が必要である。
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