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日本のサッカー選手、監督 ウィキペディアから
小学校1年からサッカーを始め、東福岡高校卒業後、イングランドへ渡った。高校時代の同級生には宮原裕司、金古聖司、千代反田充、富永康博らがいる。
2004年にBritish Councilが選んだイギリスに留学する生徒を対象とするInternational student awardsを受賞。2005年にリヴァプール・ジョン・ムーア大学サッカー科学学科卒業。留学中は、フットボールリーグ1(3部に相当)に所属するトレンメア・ローヴァーズFCの下部組織とマンチェスター・ユナイテッドFCのサッカースクールなどでコーチを務めた。
2006年より名古屋グランパスでコーチ兼通訳を務めるが、セフ・フェルホーセン監督らと共に2007年シーズン終了後退団。2008年に入ってからはオランダに渡りPSVアイントホーフェンで研修をスタートし、エールディヴィジ2007-2008シーズン終了後に帰国。ジェフユナイテッド千葉でアレックス・ミラーの通訳を短期間務めた後に、5月よりアビスパ福岡のテクニカルスタッフとなったが、1シーズンを持って退団を自身のブログで発表。2009年より大分トリニータU-15にて指揮を執る。
2013年から、ガイナーレ鳥取のコーチに就任[1]。同年シーズン終了後に退任[2]。
2014年より、ジュビロ磐田のテクニカルスタッフに就任[3]。
2015年より、ジュビロ磐田U-18のコーチに就任。
2019年、鳥取のヘッドコーチに就任[4]。2020年シーズン終了後に退任[5]。
2022年6月13日、ヴァンラーレ八戸の監督に就任[7]。同年6月19日の対AC長野パルセイロ戦から指揮を執った。
2023年、J3リーグ初年度のチームで、第4、5節には19位まで沈んだものの、その後第26節終了時にはJ2リーグ昇格圏内の2位にまで躍進させた。J3リーグ最終節を控えた同年12月1日、翌年からJ2リーグレノファ山口FCの監督に就任することが発表された[9]。
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