忍城
武蔵国埼玉郡忍(現在の埼玉県行田市)に存在した日本の城 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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忍城(おしじょう)は、埼玉県行田市(武蔵国埼玉郡忍)にあった日本の城。埼玉県指定旧跡。
概要 logo忍城 (埼玉県), 別名 ...
忍城 (埼玉県) | |
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模擬御三階櫓 | |
別名 | 浮き城、亀城 |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 |
御三階櫓(1701年)非現存 層塔型3重3階(1988年 模擬または復興) |
築城主 | 成田氏 |
築城年 | 15世紀後期 |
主な城主 | 成田氏、松平氏ほか |
廃城年 | 1871年 |
遺構 | 土塁、堀、移築門 |
指定文化財 | 埼玉県指定旧跡 |
再建造物 | 櫓・模擬門 |
位置 | 北緯36度8分13.74秒 東経139度27分10.36秒 |
地図 | |
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室町時代中期の文明年間に成田氏によって築城されたと伝えられており[1]、北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地に点在する広大な沼地と自然堤防を生かした構造となっている[2]。数度の城攻めを受けて、一度も落城しなかった要害堅固な城として知られる。戦国時代には関東七名城の一つ[3]、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐に伴い発生した攻城戦の際、豊臣方の水攻めに耐え抜いた逸話から浮き城[2]または亀城と称された[2][4]。
江戸時代に入ると忍藩の藩庁あるいは徳川氏の譜代大名や親藩の居城となり、阿部氏の時代には御三階櫓が新たに建設されるなどの城郭改修や城下町の整備が行われた[1][2]。明治維新後、1871年(明治4年)の廃藩置県と同時に廃城となり、1873年(明治6年)に土塁の一部を残して取り壊されたが[1]、城跡は県指定記念物の旧跡に指定されている[1]。また、本丸跡には御三階櫓が再建され[1]、水堀や沼地の一部は水城公園として整備されている[5]。2017年(平成29年)4月28日に文化庁が認定する日本遺産ストーリー「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」の構成資産(文化財)のひとつに加えられた[6]。