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徳川 為子(とくがわ ためこ、1897年(明治30年)5月10日[1] - 1989年(平成元年)5月3日[1])は、紀州徳川家第16代当主・徳川頼貞の妻。父は島津忠義。母は菱刈久。姉は香淳皇后の生母である邦彦王妃俔子。
薩摩藩主・島津忠義の11女として生まれる[2]。母は側室の菱刈久で、昭和天皇の皇女・島津貴子と結婚した島津久永の祖母にあたる[3]。
1916年(大正5年)7月25日に紀州徳川家第16代当主・徳川頼貞の妻となり、1男1女(徳川頼韶・徳川宝子)を出産。長男の頼韶が紀州徳川家の跡を継ぎ17代当主となったが、41歳の若さでこの世を去ると、徳川剛を養子に迎え、娘の宝子と結婚し18代当主とした[4]。その後、剛が経営失敗により失踪したため、孫の徳川宜子が紀州徳川家の19代当主を務めている。