平津作戦
ウィキペディア フリーな encyclopedia
この項目では、日中戦争中の作戦について説明しています。国共内戦の戦役については「平津戦役」をご覧ください。 |
平津作戦(へいしんさくせん)は、日中戦争初期(北支事変)における戦闘。日本軍は盧溝橋事件の停戦協定の締結後、北支一帯に駐屯する部隊を増強してきた。一方の中国軍もこれに対して小競り合いを繰り返し、両軍は緊張状態にあった。このような状況にあり1937年7月に広安門事件が発生し、日本軍は総攻撃を決心する。この作戦の結果、日本軍は平津地方の占領に成功し、やがて本格的な戦争に突入する。
概要 平津作戦, 交戦勢力 ...
平津作戦 | |
---|---|
北平占領後、正陽門より入城の日本陸軍部隊。 | |
戦争:日中戦争 | |
年月日:1937年(昭和12年)7月28日 - 7月30日[1] | |
場所: 中華民国 河北省 | |
結果:日本軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | 中華民国 |
指導者・指揮官 | |
田代皖一郎 香月清司 |
宋哲元 趙登禹(英語版) † 佟麟閣 † |
戦力 | |
兵員:約20,000(1個師団、1個旅団ほか)[1] | 兵員:約46,000以上(3個師団)[1] |
損害 | |
戦死:127[2] 負傷:384[2] |
全体の損害は不詳[1] |
| |
閉じる