大陸打通作戦
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大陸打通作戦(たいりくだつうさくせん)は、日中戦争(支那事変)中の1944年(昭和19年)4月17日から12月10日にかけて、日本陸軍により中国大陸で行われた作戦。正式名称(日本側作戦名)は一号作戦(英語: Operation Ichi-Go)。その結果発生した戦闘についての中国側呼称は豫湘桂会戦。前半の京漢作戦(コ号作戦)と後半の湘桂作戦(ト号作戦)に大きく分けられる。
大陸打通作戦 一号作戦 豫湘桂会戦 | |
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同作戦中に戦闘を行う日本陸軍の兵士達。 | |
戦争:日中戦争[1] | |
年月日:1944年4月 ~ 1945年1月[1] | |
場所:華北からフランス領インドシナまでの地域。桂林、柳州、遂川などの空軍基地[1]。 | |
結果:日本軍の勝利。連合国軍の空軍基地を占領するも戦略的には困難であった[1]。 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | 中華民国 アメリカ合衆国 |
指導者・指揮官 | |
畑俊六 松井太久郎 内山英太郎 岡村寧次 横山勇 |
湯恩伯 呂公良 李家鈺 薛岳 方先覚 白崇禧 ジョセフ・スティルウェル |
戦力 | |
兵力50万人 火砲1500門 戦車800両 自転車1万2000台 馬7万頭[2] |
兵力100万人 火砲6723門 航空機190機[2] |
損害 | |
10万人戦死・戦病死[2] | 75万人戦死・負傷[2] |
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日本軍の目的は、当時日本海軍の艦船や台湾を攻撃していた爆撃機を阻止するために、中国内陸部の連合国軍の航空基地を占領することと、日本の勢力下にあるフランス領インドシナへの陸路を開くことであった。日本側の投入総兵力50万人、800台の戦車と7万の騎馬を動員した作戦距離2400kmに及ぶ大規模な攻勢作戦で、日本陸軍が建軍以来行った中で史上最大規模の作戦であった。
計画通りに日本軍が連合国軍の航空基地の占領に成功し勝利を収めたが、その後連合国軍が航空基地をさらに内陸部に移動させたことや、作戦中にアメリカ軍によりマリアナ諸島が陥落し、本州がアメリカ軍の作戦範囲内になったことから戦略目的は十分には実現できなかった。