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1938年から1945年にかけてナチス・ドイツが併合した領土により構成・設置された行政区分 ウィキペディアから
帝国大管区(ていこくだいかんく、ドイツ語: Reichsgau ライヒスガウ、複数形:Reichsgaue ライヒスガウエ)とは、1938年から1945年にナチス・ドイツによって主に併合された領土により構成され、設置された行政区分の名称である。
「帝国大管区」という単語はReich(国)とGau(大管区)を複合して作られた表現であり、州に近い意味を持っている。
大管区(独: Gau)は初期においてはNSDAPの行政地域として、党が選挙区割りに基づいて設置した組織であった。
しかし、ヴァイマル共和国がドイツ帝国時代から引き継いだ州(独: Land)の機能を1938年にナチス・ドイツが停止させると、大管区は一級行政区画として機能するようになった。
そのため、実質的には帝国大管区と大管区の双方が国家の行政組織として機能するようになったので、この呼称の差異は特には無く、日本の都道府県のような関係に類似する。
オーストリア(エスターライヒ)は、アンシュルス直後の1939年4月に既存の州(オーストリア州:Land Österreich)組織から帝国大管区への再編制が行われた。ここでは既存の州を維持しつつ、オーストリアを想起させる名称の抹消などが図られ、その一環として1940年に地域名(国名)もオーストリア(エスターライヒ:Österreich)からオストマルク(Ostmark)へと改称された。併せて、オーストリア地域に設置された7つの帝国大管区を総称するプロパガンダ的な名称(Propagandabezeichnung)としてオストマルク帝国大管区群が設定され、1942年に大管区群の名称がドナウ=アルプス帝国大管区群(Donau- und Alpenreichsgaue)[1]へと変更された。
なお、オーストリアに設置された帝国大管区は、ブルゲンラント州を除いて現代オーストリアの連邦州とほぼ範囲が一致する。
ミュンヘン協定でドイツが得たその他の地域は、それぞれ隣接したバイエリッシュ=オストマルク大管区(1942年にバイロイト大管区に名称変更)・上ドナウ帝国大管区・下ドナウ帝国大管区に編入された。
その後、チェコのほかの部分はベーメン・メーレン保護領が設置された。また、チェコスロヴァキアのスロヴァキア地域には、独立スロヴァキアが建てられた。
ポーランドのカトヴィッツ(ポーランド語: カトヴィツェ)は上シュレージエン大管区に、東プロイセン大管区の隣接地も同様に編入され、残りの部分にはポーランド総督府が設置された。
1940年のベルギーへのドイツの侵攻後、軍政が敷かれた。1944年の7月、「大ドイツ」への編入の前段階として、文民による統治が始まった。その年の12月、ベルギーは2つの帝国大管区と直轄市に分割された。しかし、この分割は連合国軍の前進により、書類上だけのものに終わった。
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