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尾高城(おだかじょう)は、鳥取県米子市尾高にあった中世の日本の城(平山城)。別名泉山城(いずみやまじょう)。国の史跡に指定されている[1][2]。
標高40メートルの河岸段丘上にあり、背後に大山、眼前に箕蚊屋(みのかや)平野が広がる。戦国時代、西伯耆の要衝であり、尼子氏と毛利氏の争乱の舞台となった。
米子勤労総合福祉センター「米子ハイツ」建設に先立ち、昭和49年(1974年)から発掘調査が実施された。出土遺物は13世紀から16世紀にかけての、輸入・国産陶磁器類、古銭、笄、刀子などである。戦国時代の西伯耆の中核的な城跡として、一部は保存整備され、米子市の史跡に指定されている。令和4年(2022年)からの発掘調査では、本丸と二の丸に石垣があることが判明し、石垣の調査を終えた後に国指定史跡とすべく整備を行う予定となっている。
昭和49年(1974年)から昭和54年(1979年)にかけて実施された発掘調査では、土塁、堀のほか、井戸跡、建物跡などが確認され、南大首の郭内では空堀に面して配置された櫓跡と考えられる掘立柱建物跡が確認される。また、南大首の堀外からは、尾高城成立に関わる鎌倉時代の在地領主の館跡と推定される建物跡が確認されている。
空堀と土塁によって、8つの郭(曲輪:くるわ)を連ねる。郭は、字名の残る本丸、二の丸、中ノ丸、天神丸、南大首郭、越ノ前郭のほかに、Ⅳ郭、方形館跡がある。
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