Loading AI tools
釈迦仏の弟子の一人 ウィキペディアから
孫陀羅難陀(そんだらなんだ、名前については後述)は、釈迦仏の弟子の一人。釈迦とは異母兄弟にあたるとも、あるいは孫陀羅・難陀と難陀は別人ともされる(詳細は後述)。
なお北伝、すなわち大乗仏教の多くの経典では、実父を浄飯王(シュッドーダナ)とし、実母を摩訶波闍波提(マハー・プラジャーパティー)とする。ちなみに釈迦は摩訶波闍波提の姉・摩耶夫人と浄飯王との間に生まれたので、孫陀羅難陀とは異母兄弟にあたる。
名前の由来については、彼が生来、容姿端麗であったことから、サウンダラ・ナンダ(孫陀羅・難陀)といわれるようになったとも、あるいは彼の妻が国中で一番の美人との評判で、妻の名が Sundarii、スンダリー、漢訳:艶麗)と呼ばれたことから、この名がついたとも伝えられる。南伝では妻の名はジャナパダカリヤーニー・ナンダーである[1]。
なお、古代インド及び仏教において、難陀(ナンダ)という名前はポピュラーな名前で、また類似した名前も多い。
大乗の仏教経典では、難陀と記載される場合もあり、これにより釈迦十大弟子の一人である阿難陀(アーナンダ)や、八大竜王の一である難陀竜王(なんだりゅうおう)とよく混同されやすい。したがってこれらと区別して、孫陀羅・難陀と表記、また偉大なるを意味する「マハー(摩訶)」をつけて摩訶・難陀と音写表記されることもある。
上記の通り、難陀(ナンダ)という名前が非常に多いことから、人物の混同が起こり、それが仏典となって記載され各種伝えられていると考えられる。
釈迦仏が故郷カピラ城に帰国して3日目(2日目とも)、難陀の王子即位式及び、新殿入初式、結婚式を行っていた。妻は国中で一番の美人とされる女性だったと伝えられるが、その妻との結婚式の最中に、釈迦仏が場内に入り祝歌を唱歌し彼に鉢を渡して立ち去った。難陀は仏の後を追って、ついにニグローダ樹苑にある精舎まで来てしまい剃髪させられて出家してしまったといわれる。
しかし出家して仏の教下によって修行するも、彼は妻のことをなかなか忘れられず悩んで、修行を止めて妻の元に帰らんと欲していた。彼の心中を悟った釈迦仏は、神通力の方便をもって、三十三天の帝釈天に随う500人の美しい天女を示し、釈迦族の女性とどちらが美しいかと難陀に問い、天女だと答えると、釈迦仏は500人の天女を得ることを保証し、難陀は修行を決意する。それから比丘たちの非難を受けて大いに恥じ入り、心を入れ替え証果を得たといわれる。[2]
仏滅後、6~700年頃に登場した大乗仏教の論師、馬鳴(めみょう)菩薩は、難陀をモデルに『端正なる難陀』(サウンダラナンダ・カーヴィヤ)を著述した。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.