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日本のビールメーカー ウィキペディアから
大日本麦酒株式会社(だいにっぽんびーる、 Dainippon Brewery Company Limited)は、かつて日本に存在したビールメーカーである[3]。現在のアサヒビールやサッポロビールなどの前身であり[3]、韓国のハイトビールとも歴史的繋がりがある。
1906年3月に、大阪麦酒(アサヒビールの前身)、日本麦酒(恵比寿ビールを製造していた)、札幌麦酒(サッポロビールの前身)が合併して誕生した[1][3]。日本麦酒の馬越恭平社長(三井物産重役)が中心となり実現したこの「大合同」により、合併時の市場占有率は約7割に近づいた(ヱビス、サッポロ、アサヒの商標で1935年の市場占有率65%)。合併前の厳しい市場競争で三井系の日本麦酒の経営が危機に陥りかけたため、馬越恭平は内閣に働きかけ「国内の過当競争排除と輸出の促進、 資本の集中化を図るための」合併勧告を引き出した。
その後、1907年に東京ビールを製造していた東京麦酒を買収。1933年には日本麦酒鑛泉(ユニオンビール・三ツ矢サイダーを製造販売。根津嘉一郎経営)を、また1943年には桜麦酒(サクラビールを製造販売。1929年に帝国麦酒から社名変更。旧鈴木商店系)を合併した。一方で朝鮮市場向けのビールを製造するために、地元資本と折半して資本金600万円で1933年8月に朝鮮麦酒株式会社、2020年現在のハイトビール(ハイト眞露)を設立。ハイトは現在韓国でビールシェア一位である。
第一次世界大戦の戦後処理として、ドイツ租借地であった中国・青島が日本の管理下におかれたことを受け、ドイツ資本によって建てられた青島ビールの経営権を1914年に取得し、1945年まで大日本麦酒が自社工場として経営した。
戦後の1949年、財閥解体のあおりを受ける形で過度経済力集中排除法の適用を受け、朝日麦酒(現・アサヒグループホールディングス)と日本麦酒(現・サッポロホールディングス)に分割された。
工場名 | 所在地 | 操業開始年月 | 前身 | 備考 |
---|---|---|---|---|
札幌第一工場 | 北海道札幌市 | 1876年9月 | 元札幌麦酒工場→1906年3月大日本 | 日本麦酒継承 |
札幌第二工場 | 北海道札幌市 | 1890年 | 元札幌製糖工場→1906年3月大日本 | 日本麦酒継承 |
吾妻橋工場 | 東京都墨田区 | 1901年9月 | 元札幌麦酒東京工場→1906年3月大日本 | 朝日麦酒継承 |
目黒工場 | 東京都目黒区 | 1889年 | 元日本麦酒工場→1906年3月大日本 | 日本麦酒継承 |
川口工場 | 埼玉県川口市 | 1923年2月 | 日本麦酒鑛泉→1933年7月大日本 | 日本麦酒継承 |
半田工場 | 愛知県半田市 | 1898年 | 加富登麦酒→日本麦酒鑛泉→1933年7月大日本 | 1943年閉鎖 |
名古屋工場 | 愛知県名古屋市千種区 | 1923年6月 | 日本麦酒継承 | |
西宮工場 | 兵庫県西宮市 | 1927年10月 | 日本麦酒鑛泉→1933年7月大日本 | 朝日麦酒継承 |
初島工場 | 兵庫県尼崎市 | 1918年 | 日本製壜→1933年7月大日本 | 1934年閉鎖 |
平野分工場 | 兵庫県川西市 | 1884年 | 帝国鉱泉→日本麦酒鑛泉→1933年7月大日本 | 朝日麦酒継承 |
吹田工場 | 大阪府吹田市 | 1891年10月 | 元大阪麦酒工場→1906年3月大日本 | 朝日麦酒継承 |
博多工場 | 福岡県福岡市博多区 | 1921年4月 | 朝日麦酒継承 | |
門司工場 | 福岡県北九州市門司区 | 1913年4月 | 元帝国麦酒工場→1943年11月大日本 | 日本麦酒継承 |
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