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日本の仏教哲学者 ウィキペディアから
北山 淳友(きたやま じゅんゆう、1902年(明治35年)1月29日 - 1962年(昭和37年)1月19日[1])は、日本の仏教哲学者。マールブルク大学名誉教授。Ph.D(ハイデルベルク大学)。
静岡県志太郡焼津町(現・焼津市)出身[1]。静岡県立静岡中学校に学ぶ[2]。1923年(大正12年)、宗教大学(大正大学の前身校の一つ)哲学科卒業[3]。1924年(大正13年)、浄土宗より欧州留学を命じられ、ドイツのフライブルク大学に入学、エトムント・フッサールにインド哲学、サンスクリットをエルンスト・ロイマンに学ぶ[1]。1927年(昭和2年)にハイデルベルク大学に移り、哲学をハインリッヒ・リッケルト、カール・ヤスパースに、インド哲学、チベット学をマックス・ワレーザーに学ぶ[1]。ハイデルベルク大学では「仏教の形而上学(Metaphysik des Buddhismus)」によりPh.D(指導教員はヤスパース)を受けた[1]。
1931年(昭和6年)よりヴォルフガング・ゲーテ大学で日本文化や日本語の教育に携わり、1933年(昭和8年)までマールブルク大学宗教学科の助手を務めた[1]。1934年(昭和9年)からは文化形態学科で日本部門の指導に従事[1]。1940年(昭和15年)、マールブルク大学名誉教授[1]。
1944年(昭和19年)、プラハ・カレル大学が東洋学科創設のため北山を招聘し、主任教授となった[1]。しかし、1945年(昭和20年)には親ドイツの人物と見做されて収容所に送られた[1]。翌1946年(昭和21年)に釈放されると、チェコスロバキア国立外語学校の日本語講師となり、同国体育協会の依頼で柔道を教授した[1]。その後もヨーロッパにとどまり続け、プラハで死去した[3]。
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