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布や革の上に刺繡糸と刺繡針を使用して装飾を施す技術 ウィキペディアから
刺繡(ししゅう、刺繍、英: embroidery)は、布や革の上に刺繡糸と刺繡針を使用して装飾を施す技術。「刺繡する」というように装飾する作業や完成した模様・文字を指すこともある[1]。プリントなどに比べて立体感がある分、製造に手間がかかるため、完成品は高価になる。
刺繡とは、布地あるいはその他の素材に針とより糸で装飾を施す技術のこと。擦れに強い性質があり、軍隊のワッペン等に利用されている。
特徴は、チェーン・ステッチ、ボタンホール・ステッチ、ランニング・ステッチ、サテン・ステッチ、クロス・ステッチなど、ステッチの最古の技法に基づいていることで、それらは現代の刺繡の基本的な技術として残っている。
機械刺繡は産業革命の初期に登場し、手刺繡、とりわけチェーン・ステッチを模倣するために使われた。しかし機械によるサテン・ステッチやヘム・ステッチは、複数の糸によって施されるため、見た目は手刺繡と似ているが構造は異なる。
刺繡には、さまざまな色に染められた六本取りロウ引きなしの専用の糸(刺繡糸)と、針穴を大きく取った専用の針(刺繡針)が使われる。材料が糸であるという性質上、使っている糸の色や材質を刺繡の最中に変更したり出来ないので、使用する色や材質の数だけ糸を用意する必要がある。そのため、文化刺繡など数十色の色を使用する刺繡を行う場合は、専用の針山が使われる。刺繡糸の代わりに多彩な色のビーズを縫い付ける手法もある[2]。
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中国の刺繡は3000年近い歴史を持つと見られ、周の『礼記』に養蚕や刺繡に関する記載があり、毛織物に簡単な刺繡を施したものも出土している。湖北省からは戦国時代中期の、湖南省からは前漢の細かな刺繡を施した布の実物が多数出土しており、現在の湘繡のルーツと見られる。宋の都であった汴州(べんしゅう)では刺繡が盛んに行われるようになり、現在まで1700年の歴史がある。
日本では、縫い目に呪力が宿るとされていた。そのため、大人の着物に比べ、縫い目の少ない子供の着物には悪いモノが寄り付きやすいと考えられ、子供を守るために着物の背中に「背守り」と呼ばれる刺繡を施す風習があった。また現在の北海道などに住むアイヌにも、「ルウンペ」「チヂリ」といった刺繡衣装がある。
中世ヨーロッパでは刺繡は上流階級の女性の教養として広まった。
2000年代、日本では各地の自治体で暴走族を締め出すための「暴走行為の防止に関する条例」が制定された。この条例の中には、特攻服などの衣服に暴走行為を行う集団の名称などを刺繍してはならないという規制を盛り込んだものもあった(例:熊本県)[3]。
大まかにわけて、人の手で行う手刺繡(てししゅう)と、機械を使用する機械刺繡、剣山状の針を使って布に糸を埋め込むパンチニードルとがある。
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