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日本の政治家 ウィキペディアから
儀間 光男(ぎま みつお、1943年(昭和18年)7月24日[1] - )は、日本の政治家。政治集団「21令和の会」会長。参議院議員(1期)、沖縄県浦添市長(第10・11・12代)、沖縄県議会議長、沖縄県議会議員(4期)、浦添市議会議員(2期)、政党そうぞう最高顧問、日本維新の会沖縄県総支部代表等を務めた。
儀間 光男 ぎま みつお | |
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生年月日 | 1943年7月24日(81歳) |
出生地 |
大日本帝国 南洋群島テニアン島 ( 北マリアナ諸島テニアン島) |
出身校 | 東京農業大学農学部 |
前職 | 沖縄県浦添市長 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) (政党そうぞう→) (旧日本維新の会→) (維新の党→) (おおさか維新の会→) (日本維新の会→) 無所属/21令和の会 |
称号 |
農学士(東京農業大学・1968年) 旭日重光章 |
配偶者 | 儀間朝子 |
親族 | 儀間光秀(長男、沖縄県議会議員) |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2013年7月29日 - 2019年7月28日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2001年2月11日 - 2013年2月10日 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1980年 - 1996年 |
浦添市議会議員 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1972年 - 1980年 |
日本委任統治下の南洋諸島テニアン島に生まれる(本籍地は沖縄県島尻郡伊是名村字勢理客[2])。東京農業大学農学部卒業。
1972年、浦添市議会議員選挙に出馬し、初当選。2期8年にわたり浦添市議及び浦添市会計監査委員を務める。1980年、沖縄県議会議員選挙に鞍替えし、当選。県議を4期16年間務め、1992年から1996年まで沖縄県議会議長。県議時代は自由民主党に所属した。
2001年2月11日に市議選と同日選挙にするために行われた浦添市長選挙に、自民党・保守党の推薦を受けて立候補。法政大学沖縄文化研所長の比嘉実ら2候補を破り初当選した[3]。2009年に3期目の当選を果たす。
2013年2月の浦添市長選挙にも4選を目指して出馬したが、新人の松本哲治、前浦添市教育長の西原廣美に敗れ、最下位で落選[4]。
2013年7月、第23回参議院議員通常選挙に日本維新の会公認で比例区から出馬し、当選。日本維新の会沖縄県総支部長、国会議員団副幹事長。
2014年の日本維新の会分党に際しては橋下徹共同代表に同調し、維新と結いの党の合流によって維新の党所属となった。9月26日参議院幹事長代理就任[5]。2015年の維新の党分裂後はおおさか維新の会(翌年に日本維新の会に党名変更)に参加した。
2019年7月投開票予定の第25回参議院議員通常選挙の比例候補となっていた[6]が、6月12日に高齢を理由に政界を引退する意向を表明した[7]。同年旭日重光章受章[8]。
2020年1月に下地幹郎がIR汚職事件で贈賄の疑いが持たれている中国企業から現金を受領したことから日本維新の会を除名されると、當間盛夫ら維新沖縄県総支部所属議員は全員が離党し、下地と共に新たな政治団体を立ち上げることなどを確認。県連顧問を務める儀間も離党する見通しであると報じられた[9]。
2月には維新を離党した保守系中道議員や自民党、公明党など、玉城デニー沖縄県知事らオール沖縄勢力と距離を置く勢力の支援を目的とした政策提言集団「21令和の会」を発足させ、同会の会長に就任[10][11]。4月5日、同年の2020年沖縄県議会議員選挙に向けて、當間ら元維新の会が所属する県議会会派「無所属の会」の選対本部を下地と共同で設置し、選対本部長に就任した[12]。
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