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日本の政治家 ウィキペディアから
倉田 薫(くらた かおる、1948年(昭和23年)5月19日[1] - )は、日本の政治家。元大阪府池田市長(第16・17・18・19・21代)、元池田市議会議員(5期)。
大阪府池田市生まれ。1971年、関西大学法学部を卒業し、池田市役所に入職。1973年、池田市役所を退職。
1975年、26歳で池田市議会議員選挙に出馬し、初当選。1995年4月まで5期20年務めた。この間、1990年5月から1991年4月まで池田市議会議長も務めた。1995年5月、池田市長選挙に無所属で出馬し、初当選。以後、5回連続当選。2007年8月から2011年5月まで大阪府市長会会長を、2009年6月から2010年6月まで全国市長会副会長を務め、大阪府内市町村長の中心的存在であった。池田市は1998年度決算において経常収支比率が大阪府ワースト1位、全国ワースト2位を記録しており、財政再建団体に転落する可能性が高まっていたが、倉田は市長就任後、積極的な行財政改革を行い、2010年まで10年連続黒字化を達成した。2008年、大阪府内の市町村への補助金の大幅な削減を打ち出し、これに猛反発する市町村長らの前で涙を流して理解を求めた橋下徹大阪府知事(当時)に対し、「泣きたいのはこっちだ」と応酬した[2]。2009年12月、橋下知事が提唱した伊丹空港の廃港論について、空港が立地する伊丹(兵庫県)・豊中・池田3市の市長で唯一、賛意を表明した[2]。また大阪府・市の水道事業統合問題では、大阪市を除く府内42市町村と大阪府が先行して水道企業団を結成するよう橋下に進言した。
2011年の大阪府知事選挙に、知事を辞職し大阪市長選挙に鞍替えした橋下徹が率いる大阪維新の会を批判し、「チェンジ」「卒維新」を掲げて無所属で出馬[3][4][5]。当初、告示による自動失職までは池田市長の公務を続行する意向であったが、11月4日に辞表を提出し、11月9日に市議会で辞職が許可された[6]。知事選では、吉田友好大阪狭山市長ら大阪府下の自治体の首長らの支援も受けたが、大阪維新の会公認の松井一郎に約80万票の大差で敗れ、落選した[7]。落選後、自身の辞職に伴って実施される池田市長選挙への立候補を断念し、倉田の下で副市長を務めていた小南修身を後継指名。自身は政界を引退する意向を表明した[8]。引退後は関西大倉学園理事長を務める。
2015年9月4日、同年12月6日投開票の池田市長選挙への出馬が報じられる[9]。4年前の池田市長選で倉田自身が後継指名した小南修身も既に再選出馬を表明していたが、倉田は「現市政は停滞している。このまま任せるわけにはいかない」と述べ、9月17日に正式に立候補を表明[10]。4年前の知事選では敵対した大阪維新の会所属の市議からも支援を受けたが、政党からの表立った支援は受けずに「草の根選挙」を展開し、自民・民主・公明3党の推薦を受けた現職の小南修身ら2人を破り、4年ぶりに返り咲いた[11][12]。12月25日、池田市役所に登庁し、正式に市長に就任した[13]。
2019年、任期が8か月残っているにもかかわらず突如退任の意向を示し、4月2日に辞職届を提出した[14]。これにより、市長選は統一地方選挙として実施される市議選と同日程でおこなわれることとなる[14]。後継として市議を務める長男が立候補したが、「市長職の世襲」「突然の辞職」という批判を招き、大阪維新の会公認の前市議・冨田裕樹に敗北した[15]。長男の落選後、退任に際して倉田は「市長選の日程を統一地方選に戻す目的は達したが、変に仕掛けて維新の嵐を呼び込んでしまった。私の判断ミスで、おごりがあった」とコメントした[15]。
2011年10月、当時の大阪府知事、橋下徹が辞任を表明し、併せて平松邦夫の再選を阻止するため大阪市長選挙に立候補する意向を表明。これを受け、倉田は大阪府下の多数の首長の支援を条件に、大阪府知事選に出馬する意向を示した。10月24日、吉田友好大阪狭山市長を中心に、首長有志が倉田擁立に向けた署名を集め始めた際は、「1週間で府内の43市町村長の3分の2である28人以上の署名」を出馬の条件に設定していた。10月26日の時点で、倉田の出馬を求める署名に賛同した大阪府内の市町村長は20人であったが、「(署名に賛同した20人に加え)出馬すれば応援する人が10人前後いた」と述べ、池田市長を辞職して大阪府知事選挙に立候補する意向を正式に表明[17][18]。橋下徹が代表を務める大阪維新の会のような首長政党には批判的な立場であり、大阪府議会で過半数を占める大阪維新の会についても、「橋下知事の発信することをグッと後押ししているグループ」「維新の時代はおわった」と述べ、維新の会が主導する大阪府政について「チェンジ」「卒維新」を掲げた[3][4]。一方で「維新だからといっても排除する気はない。すばらしい改革は継続、実行していく」と述べ、従来の維新主導の府政を全否定はせず、「連携と協調」をキーワードに、府議会の各会派と施策ごとに連携する考えを示していた[4]。また大阪維新の会が掲げる「大阪都構想」については、「(大阪市の)260万人の基礎自治体は大きすぎる」と、その理念には理解を示した上で、国による地方自治法の改正の必要性や大阪維新の会が主張する構想の具体的な中身やスケジュールの不明確さを挙げ、争点化を避ける意向を示した[3][4]。
なお、倉田擁立に向けて署名集めに奔走した大阪狭山市長の吉田は、倉田の出馬表明の後「署名はこれからもらう」「(実際に署名をする)行動がいるかどうか。むしろここに至ってはない方がいい」と発言し、毎日新聞は「倉田氏がこだわったはずの署名簿は存在しなかった」と批判した[19]。また吉田は署名を拒否するが応援する意思を示した10人前後だけでなく、署名に賛同した20人についても公開しない方針を示したが[4]、倉田側は11月5日、倉田を支援する意向である府内首長21人[20]を明らかにした[21]。
11月27日投開票の府知事選で約120万票を獲得したが、大阪維新の会幹事長で、大阪府議を辞職して立候補した松井一郎に80万票の大差で敗れ、落選した[7]。
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