丹羽高庸
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丹羽 高庸(にわ たかやす)は、江戸時代中期の大名。通称は百介、五郎左衛門。陸奥国二本松藩の第6代藩主。官位は従四位下・若狭守。丹羽家第7代。
第5代藩主・丹羽高寛の長男として誕生。母は久保氏。生年は享保13年(1728年)とも。
寛保元年(1741年)4月13日、8代将軍・徳川吉宗にお目見えする。同年12月25日、従五位下若狭守に叙任する。延享2年(1745年)5月9日、父・高寛の隠居により、跡を継ぐ。延享4年(1747年)に幕府より木曽川・長良川・揖斐川の3河川治水工事の御手伝普請を命じられた(宝暦治水事件)。寛延3年(1750年)12月18日、従四位下に昇進する。明和2年(1765年)、父・高寛に先立って死去し、長男・長貴が跡を継いだ。戒名は大洞院殿柏庭宗樹大居士。墓所は福島県二本松市の大隣寺。
父母
正室
側室
子女
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