Loading AI tools
日本のトロンボーン奏者、作曲家 (1975-) ウィキペディアから
父がトランペット奏者の中川喜弘、兄が作曲家・編曲家の中川幸太郎、さらにクラリネット奏者の中川武、トロンボーン奏者の中川敦嗣を叔父に持ち、祖父も新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のバイオリン奏者という音楽一家に生まれる。音楽一家だけあって幼少期から様々な楽器が身近にあったが、6歳の時にジャズのスタンダードナンバー『シング・シング・シング』のイントロのフレーズがかっこいいと思い、父親と親交のあった数原晋に貸していたというトロンボーンを返してもらいトロンボーンを始める[2]。この頃からあらゆるトロンボーン奏者のコピーを行い、8歳の頃には既に父・喜弘のバンドの準メンバーとして活動を始めていたという。
クラシックのトロンボーン奏者に習っていたこともあり、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校に進学[2]。高校入学後から学業と平行してスタジオ・ミュージシャンとしての活動を行い、1992年には弱冠16歳にして初のリーダーアルバム「EIJIRO NAKAGAWA & FUNK '55」を発表する。スタジオ・ミュージシャンとしての活動は幅広く、数多くのアーティストのレコーディングに参加している。前述のとおりジャンルを問わず音楽活動を行っていたこともあり、クラシック分野でも東京佼成ウインドオーケストラのゲストプレーヤーとしての参加や、読売日本交響楽団との競演を果たしている。
2001年に活動の拠点をニューヨークに移し、ジム・ピュー (Jim Pugh) とのトロンボーンユニット「E'nJ」(イーエンジェイ)をはじめ、カルテット「Slide Style」や金管(ドラムス含む)10重奏「侍Brass」などで活動を行っている。父・喜弘や兄・幸太郎との競演作も多い。
2008年には連続テレビ小説「瞳」のテーマ曲演奏も手がけている。
2018年にジョゼフ・アレッシ (joseph Alessi), マーシャル・ギルクス (Marshall Gilkes), ブラント・アテマ (Brandt Attema) ら世界的なトロンボーン奏者とカルテット「SLIDE MONSTERS」を結成、同名アルバムの発表とともに全国7会場にて公演を行った。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.