ローマ・ガリア戦争
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この項目では、共和政ローマ初期の戦争について説明しています。紀元前58年から紀元前51年にかけての、ガイウス・ユリウス・カエサルによるガリア遠征については「ガリア戦争」をご覧ください。 |
ローマ・ガリア戦争(ローマ・ガリアせんそう)は、紀元前390年から紀元前193年にかけての、共和政ローマとガリア人の様々な部族との一連の紛争である。この期間にローマと戦った主な部族にはセノネス族(en)、インスブリ族(en)、ボイイ族、ガエサタエ族がある。
概要 ローマ・ガリア戦争, 交戦勢力 ...
ローマ・ガリア戦争 | |
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紀元前6世紀から3世紀にかけてのケルト人拡散 | |
戦争:ローマ・ガリア戦争 | |
年月日:紀元前4世紀 - 紀元前2世紀 | |
場所:ガリア・キサルピナ | |
結果:ローマの勝利 | |
交戦勢力 | |
共和政ローマ | ガリア人 |
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大まかに言うと、ガリア・トランサルピナ(現在のフランス南部)に居住するガリア人が、アルプス山脈を越えてガリア・キサルピナ(イタリア北部)に侵入し、エトルリアを通って南方のローマにまで勢力を拡大しようとした。200年の戦いの後、ローマはイタリアでの戦いに勝利し、紀元前120年頃にはクィントゥス・ファビウス・マクシムス(en)らがガリア・トランサルピナを征服、属州とした。