エトルリア
イタリア半島中部にあった都市国家群 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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この項目では、紀元前に存在した都市国家群について説明しています。19世紀初頭に短期間存在したフランスの衛星国については「エトルリア王国」をご覧ください。 |
現代アフリカの「エリトリア」とは異なります。 |
エトルリア(ラテン語: Etrusci)は、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群。ギリシア語ではテュッレーニア (Τυρρηνία Tyrrhenia)。
各都市国家は宗教・言語などの面で共通点があり、統一国家を形成することはなかったものの、12都市連盟と呼ばれるゆるやかな連合を形成し、祭祀・軍事で協力することもあった。
古代ギリシアとは異なる独自の文化をもっていた。当時としては高い建築技術をもち、その技術は都市国家ローマの建設にも活かされた。王政ローマの7人の王の最後の3人はエトルリア系である[1]。
鉄を輸出し古代ギリシアの国家と貿易を行っていた。
紀元前5世紀からカンパニア地方の原住民の自立とサムニウム人の侵入、ポー川流域からはガリア人の侵入を受けて勢力圏を縮小すると[2]、更に紀元前396年に共和政ローマの攻撃によりウェイイが陥落、その後150年かけてエトルリアの諸都市はローマの支配下に入り、紀元前91年からの同盟市戦争によってローマ市民権を得た[3]。