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ロラン・ティリ(Laurent Tillie、1963年12月1日 - )は、フランスの元男子バレーボール選手、指導者。
1982年から1995年までフランス代表としてプレーし、400試合近く出場[2]。ヨーロッパ選手権で、1985年に銅メダル、1987年に銀メダルを獲得[1]。1988年ソウルオリンピック、1992年バルセロナオリンピックにも出場した[1][3]。1991年から1992年までは代表のキャプテンも務めた[1]。プロリーグでは、フランス・リーグAのASカンヌやイタリア・イタリア・セリエA(現・スーパーリーガ)のパラボロ・ファルコナーラなどでプレーし、リーグAでは8回の優勝を経験した[4]。
2001年、フランスのクラブチーム・ニースVBで選手としてのキャリアを終えると[4]、同年より、8シーズンプレーしたASカンヌの監督に就任し、12シーズン指揮[1]。ASカンヌでは、2005年リーグ優勝、2007年にカップ戦優勝の結果を残している。その間の2005年にチェコ代表の監督も兼任し、2005年ヨーロッパ選手権では9位の結果を残した[3]。
2012年よりフランス代表監督に就任[1]。2015年にFIVBワールドリーグとヨーロッパ選手権で優勝を果たした[3]。しかし、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは結果を残せず9位[3]。それでも、2017年FIVBワールドリーグで再び優勝[3]。
2020年、代表監督との兼任でパナソニックパンサーズの監督に就任[3]。
2021年、2020年東京オリンピック終了をもってフランス代表監督を退任し、ベルナルド・レゼンデに引き継ぐこととなる[5]。そして、フランス代表監督としての最後の大会となる東京オリンピックで、フランス代表をオリンピック初の金メダルに導いた[6]。
父親のガイはバレーボール選手、弟のパトリスは水球選手である。
オランダのバレーボール選手であった妻のキャロラインとの間に、バスケットボール選手のキム、バレーボール選手のケヴィン、バスケットボール選手のキリアンの3人の息子がいる[7]。
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