Loading AI tools
ウィキペディアから
ロスコー・タナー(Roscoe Tanner、1951年10月15日 - )は、アメリカ合衆国テネシー州チャタヌーガ出身の元男子プロテニス選手。1977年の全豪オープン男子シングルス優勝者で、1979年のウィンブルドン準優勝でもよく知られた選手である。シングルス自己最高ランキングは4位。身長182cm、体重77kg、左利き。左腕から繰り出す、威力あふれるサービスを最大の武器とした。しかし、同時代の選手としてジミー・コナーズやビョルン・ボルグなどの強豪選手がいたこともあり、現在の印象はやや薄くなった存在でもある。ATPツアーでシングルス16勝、ダブルス13勝を挙げた。
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||
出身地 | 同・テネシー州チャタヌーガ | |||
生年月日 | 1951年10月15日(72歳) | |||
身長 | 182cm | |||
体重 | 77kg | |||
利き手 | 左 | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1969年 | |||
引退年 | 1985年 | |||
ツアー通算 | 29勝 | |||
シングルス | 16勝 | |||
ダブルス | 13勝 | |||
生涯通算成績 | 854勝464敗 | |||
シングルス | 582勝282敗 | |||
ダブルス | 272勝182敗 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 優勝(1977/1) | |||
全仏 | 4回戦(1978) | |||
全英 | 準優勝(1979) | |||
全米 | ベスト4(1974・79) | |||
優勝回数 | 1(豪1) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト8(1977/1) | |||
全仏 | 2回戦(1974) | |||
全英 | ベスト8(1977) | |||
全米 | 3回戦(1976・78) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 4位 | |||
ダブルス | ?位 | |||
1977年の全豪オープンは、年頭の1月開催と年末の12月開催の2度行われた。タナーが優勝したのは、年頭の1月開催の大会である。決勝戦ではアルゼンチンのギリェルモ・ビラスを 6-3, 6-3, 6-3 のストレートで破って優勝した。それから2年後、1979年のウィンブルドン男子シングルス決勝で、タナーは大会3連覇中だったビョルン・ボルグと顔を合わせた。試合は最終第5セットまでもつれこむ熱戦となったが、結局タナーはボルグに 7-6, 1-6, 6-3, 3-6, 4-6 で敗れ、ボルグのウィンブルドン連覇記録を止めることはできなかった。タナーのATPツアー大会のシングルスでは、1974年から1981年まで優勝記録がある。
1985年1月、テネシー州メンフィス大会での1回戦敗退を最後に現役を引退。その後のタナーは数々の犯罪行為に走り、何度も刑務所で服役生活を送る“堕ちた英雄”と化してしまった[1][2]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.