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ロイヤル・スコットランド連隊(Royal Regiment of Scotland)はスコットランドの歩兵連隊である。複数の1個大隊編成の連隊を統合して複数大隊編成とした、現在のイギリス陸軍における新しいタイプの大型連隊(Large regiment)の一つで、14のスコットランド歩兵連隊が統合を繰り返して2006年に編成された。統合された連隊の番号を繋げると、第1, 21, 25, 42, 71, 72, 73, 74, 75, 78, 79, 91, 92, 93歩兵連隊となる。
かつて存在していた、スコッツガーズを除く16(第 1, 21, 25, 26, 42, 71, 72, 73, 74, 75, 78, 79, 90, 91, 92, 93 の各歩兵連隊)のスコットランド歩兵連隊は9個に統合され、1968年にスコットランド師団(Scottish Division)の配下となったが、同年キャメロニアン(スコットランド・ライフル)連隊(Cameronians (Scottish Rifles)/26, 90歩兵)が廃止された。
その後他の連隊の一部も統合されてロイヤル・スコッツ(1)、キングズ・オウン・スコティッシュ・ボーダラーズ(25)、ロイヤル・ハイランド・フュージリアーズ(21,71,74)、ブラックウォッチ(42,73)、ハイランダーズ(72,75,78,79,92)及びアーガイル・アンド・サザーランド・ハイランダーズ(91,93)の6個になった。
2006年、これらの連隊が予備役連隊の第51ハイランド・ボランティアーズ(51st Highland Volunteers)及び第52ローランド連隊(52nd Lowland)と統合され、5個の正規歩兵大隊と2個の予備役大隊から成るロイヤル・スコットランド連隊(Royal Regiment of Scotland)となった。
カーネル・イン・チーフ(Colonel-in-Chief)はイギリス王チャールズ3世であり、その下に将官の名誉職として連隊長 (Colonel) が置かれている。また、カーネル・イン・チーフの補佐として王族の”リプレンゼンタティブ・カーネル”(Representative Colonel)が各大隊に定められていることがこの連隊の特徴である。
連隊本部はスコットランド南東部エディンバラのエディンバラ城にあるが、連隊スタッフはバーウィック・アポン・ツイード、グラスゴー、パース等に分散している。
連隊の募兵地域はスコットランド全域で、これを各大隊で分割している。
陸軍音楽軍団(Corps of Army Music)の下にはロイヤル・スコットランド連隊軍楽隊がある。陸軍音楽軍団は陸軍音楽学校を母体とし、全陸軍の連隊及び兵科軍団の軍楽隊を分離して編入させたものである。かつてのスコットランド師団傘下の連隊軍楽隊もそこに編入され、統合に伴いそれらの軍楽隊も統合された。ロイヤル・スコットランド連隊軍楽隊はエディンバラ城でのミリタリー・タトゥー(:en:)の際にはその中心となる。またこれとは別に、各大隊にはドラム手とバグパイプ手がいる。
統合により吸収された連隊はロイヤル・スコットランド連隊の各大隊となり、名称も受け継いでいる。ただし、共にローランド地方のボーダー地域(Anglo-Scottish border)を募兵地域としていたロイヤル・スコッツとキングズ・オウン・スコティッシュ・ボーダラーズは第1大隊にまとめられ、ロイヤル・スコッツ・ボーダラーズ(Royal Scots Borderers)と名付けられた。現在でも帽子の羽根飾りの色が大隊毎に異なっている。
ロイヤル・スコットランド連隊の5個の正規歩兵大隊はスコティッシュ師団(Scottish Division)、2個の予備役大隊は国防義勇軍(Territorial Army(TA))の管理下に置かれ、種類に応じた旅団に配属されて実戦任務に就く。5個の正規歩兵大隊は3個大隊が軽歩兵で、機械化歩兵と空中強襲歩兵が各1個大隊となっている。
1633年3月28日、チャールズ1世の勅令により、スウェーデン軍の外国人傭兵連隊の一つ、緑色連隊の連隊長を経験した後、フランス軍でスコットランド人連隊の連隊長を務めていたジョン・ヘプバーン(John Hepburn)は、フランス軍のスコットランド人傭兵を集めてフランスで歩兵連隊を創立した[1][2][注 1]。
1661年、王政復古によって議会派の新式軍(New Model Army)が解体された穴を埋めるために短期間イングランドへ呼ばれ、再びフランスへ渡った後、1678年にまたイングランドに戻った。大陸式の編成のこの連隊は、議会派部隊を解体して新たな常備軍を編成する際のモデルとなり、1680年には初の海外遠征としてタンジールへ派遣された。
1684年には歩兵連隊としては初めて”ロイヤル”の称号が与えられ、連隊番号割り当ての際は”第1”の番号を付与された。
1678年、第21代マー伯爵(Charles Erskine, 21st Earl of Mar)により設立され、マー伯爵連隊と呼ばれたが、1685年に改編されてスコッツ・フュージリアーズとなった。
17世紀の前半のヨーロッパで開発されたフリントロック式銃は、従来のマッチロック式銃のように火の付いた火縄や火種を持ち歩く必要がないため、引火性の物質が近くにあっても安全であり、即時に射撃できる状態で負革で背負うことも出来るようになった。そのため、行軍の際は大量の火薬を積んだ馬車を押し、敵が現われたら即時に応戦する必要がある、砲兵段列の護衛隊は最初に配備された部隊の一つだった。この、軽量のフリントロック式マスケット銃を装備した兵士は、新しい種類の歩兵フュージリア(Fusilier)となり、17世紀後半には部隊が編成されるようになった。
フリントロック式銃を優先配備されていた兵種としては、各歩兵連隊の中隊として編成され、擲弾の投擲を任務とした擲弾兵があり、彼らも同様に手を空けるために銃を背負い、必要があれば背負った銃を迅速に構えるためることが要求されていた。そのため、フュージリア兵と擲弾兵の服装や装備は似たものとなっていた。
擲弾が使われなくなり、全軍がフリントロック式銃を装備するようになると、ヨーロッパ諸国では”擲弾兵”が精鋭部隊の名誉称号となり、フランス等では一般歩兵部隊が”フュージリア”と呼ばれた。一方、イギリスでは歩兵連隊の精鋭中隊を”擲弾兵中隊”とし、1836年以降はヨーロッパ諸国の”擲弾兵連隊”[注 2]に相当する精鋭部隊の名誉称号として、”フュージリア連隊”の名称を与えるようになった。その様なわけで、フュージリア連隊の制服は各連隊の擲弾兵中隊と共に、各時代に於ける他のヨーロッパ諸国の擲弾兵の服装に準じて変遷して行った。
スコッツ・フュージリアーズは1685年に新編されたロイヤル・フュージリアーズ連隊(Royal Regiment of Fusileers)[注 3]と共にイギリス軍で最初に編成された2個のフュージリアーズ連隊の一つであり、3個[注 4]存在した”本物”のフュージリア兵連隊であった。
1712年にはロイヤルの称号を受けた。
創設当初は”第73”だったが、それまでの第71連隊が廃止されたため、”第71”となった。その後、”第73”は独立したブラックウォッチ第2大隊に割り振られた。
第71連隊の元連隊長代理アーチボルト・キャンベル(Archibald Campbell)により創設。
朝鮮戦争ではフック丘の防御に当たっていたが、”Battle of the Hook”で知られる激戦の直前にデューク・オブ・ウェリントン連隊(Duke of Wellington's Regiment)(現ヨークシャー連隊(Yorkshire Regiment)第3大隊)と交代した。
連隊の帽章や”ブラックウォッチタータン”は第42連隊のものを引き継いでいる。
ジャコバイトの蜂起に於いて、勇猛なハイランダー兵の戦闘力は大きく評価された。そのため、イギリス軍でもハイランダー兵を採用するようになった。1725年、当時スコットランドに於ける国王軍の指導者だったジョージ・ウェード(George Wade)は6個のハイランド監視兵(Highland Watch)中隊を立ち上げた。1739年にはこれらハイランダーの監視兵中隊が統合されて、ハイランド連隊が編成された。
”Black Watch”は創立された頃からのあだ名であり、1861年には正式名称となった。日本語では”黒時計”と表記されることもあるが、これは誤訳である。実際は兵士が身につけていた濃緑色のタータンが黒く見えたためにそう呼ばれるようになったためであり、”黒い監視兵”の意味である。
ハイランド連隊はイギリス軍の下に編成された最初のハイランド連隊であり、初代連隊長はスコッツガーズ出身の第20代クローフォード伯爵ジョン・リンゼーが務めた。
カロデンの戦いの後、ハイランダーのタータン着用が禁止されたが、この連隊は例外的に認められ、連隊のタータンであるブラックウォッチタータンは使用され続けていた。また、1758年には”ロイヤル”の称号も受けた。
このようなことから、タータンが復興された際には他のタータンが廃れていたため、ブラックウォッチタータンを基本とした新しいタータンが数多く作られた。そして、これらはその後設立されたハイランド連隊のタータンとしてだけではなく、多くのスコットランドの氏族(クラン)により”クランタータン”として採用された。そのため、ブラックウォッチタータンには派生型が非常に多く、最も代表的なタータンの一つとされている。
ワーテルローの戦いの前哨戦であるカトル・ブラの戦い(Battle of Quatre Bras)ではネイ軍の進撃を食い止め、大きな損害を受けながらも翌々日のワーテルローの戦いに参加した。
帽章はシーフォース・ハイランダーズの鹿の上にクィーンズオウン・キャメロン・ハイランダーズがヴィクトリア女王から授けられた王冠とアザミの記章が載っている。
連隊のマッケンジータータンは、統合前から第72連隊のものだが、78連隊も使用していたことがある。
創設当初は”第78”だが、以前からあった第72連隊が廃止されたため、”第72”の番号を与えられ、後に創設された別のハイランド連隊が”第78”となった。
七年戦争の間最初の”第78ハイランド連隊”が一時的に編成され、その後1778年に再編された第78連隊は第72連隊となった。
1873にヴィクトリア女王から”クィーンズオウン”の称号及び王冠とアザミの記章が与えられ、制服の折り返しは当初の濃緑色からクィーンズ連隊のアクアブルーに変更された。王冠とアザミの記章はクィーンズオウン・ハイランダーズへ受け継がれた。
ハントリー侯爵(後に第5代ゴードン公爵)ジョージ・ゴードンが創設した。この時、ジョージの母第4代公爵夫人ジェーンは、新兵を集めるために、応募者へ支払う日当の硬貨(en:King's shilling[注 6])に口づけをしてから手渡したという逸話がある。ジェーンはローランドに生まれてハイランド貴族のゴードン家へ嫁いだ社交界の名士で、タータンやキルトといったハイランド文化を宮廷に広めた人物として知られている。
連隊のタータンは、前年にゴードン氏族(クラン)のクランタータンとして定められた、ブラックウォッチタータンに黄色のオーバーチェック(細線)を加えた”ゴードンタータン”で、”ゴードンハイランダーズ”に統合された後も使われた。
当初は”第100”だったが、以前の第92連隊が廃止されたため、”第92”となった。
カトル・ブラの戦いでは連隊長が戦死したが、翌々日のワーテルローの戦いでは同じスコットランドの竜騎兵グレイ連隊(当時の正式名称は第2竜騎兵連隊で”グレイズ(Greys)”は通称だったが、後にロイヤル・スコッツ・グレイズ(Royal Scots Greys)が正式名称となる)と共に”Scotland Forever!”(スコットランドよ永遠なれ!)と叫びながら突撃し、グレイ連隊がフランス第45連隊の連隊旗を奪取した。この喚声は女性の戦争画家として有名なレイディ・バトラー(Lady Butler)の作品”Scotland Forever!”の題名にもなっている。
グレイ連隊は、イギリス重騎兵が大きな戦果を挙げた戦いの殆どに参加している精強部隊で、現在はロイヤル・スコッツ近衛竜騎兵(The Royal Scots Dragoon Guards (Carabiniers and Greys))に統合されている。このことを記念して、ナポレオン軍の軍旗の旗頭に付いていた鷲と”Waterloo”の文字がロイヤル・スコッチ・グレイの記章となり、ロイヤル・スコッツ近衛竜騎兵連隊の帽章に受け継がれている。
創立時は”第98”だったが、以前からあった第91連隊が廃止されたため、”第91”へ変更された。
クリミア戦争のバラクラヴァの戦いに於て、初代クライド男爵・コリン・キャンベル(Colin Campbell, 1st Baron Clyde)麾下の第93連隊550人は、トルコ軍が潰走したためにロシア軍の進路上に孤立した。しかし、同連隊は2列横隊でロシア軍騎兵2500人の攻撃を防ぎ、退散させた。この防衛線はシン・レッド・ライン(The Thin Red Line)と呼ばれ、後世に語り継がれている。
連隊のブラックウォッチタータンはブラックウォッチ連隊のものと同じ柄だがチェックのサイズが異なる。アーガイル・アンド・サザーランド・ハイランダーズへ統合された後は同連隊でも使われ、1970年以降の国防省規格では、ブラックウォッチ連隊のものには”Govt 1 Tartan”、アーガイル・アンド・サザーランド・ハイランダーズのものには”Govt 1A Tartan”の呼称が与えられた[注 7]。チェックのサイズはGovt 1 Tartanが27.5センチ、Govt 1A Tartanは34.5センチと規定されている。
そして、ロイヤル・スコットランド連隊が発足した際には、”Govt 1A Tartan”が連隊のタータンに採用された。
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