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2011年3月17日に国際連合安全保障理事会(国連安保理)で承認された軍事行動 ウィキペディアから
リビア飛行禁止空域(リビアひこうきんしくういき、英語:Libyan no-fly zone)は、2011年3月17日に国際連合安全保障理事会(国連安保理)で承認された軍事行動。リビア内戦で反政府勢力に対して空爆を仕掛けるムアンマル・アル=カッザーフィー大佐(カダフィ大佐)に忠誠を誓う軍部隊などの攻勢を阻止するために提案された[5]。8月下旬にカダフィ政権は崩壊し、10月末に新たに採択された安保理決議により同年10月31日をもって飛行禁止区域は解除された[6]。なお同戦闘におけるアメリカ合衆国の作戦名はオデッセイの夜明け作戦、イギリスはエラミー作戦、フランスはアルマッタン作戦、カナダはモバイル作戦、北大西洋条約機構はユニファイド・プロテクター作戦である。
リビアへの軍事攻撃 | |||||||
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2011年リビア内戦中 | |||||||
軍事基地と攻撃拠点の一覧 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
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指揮官 | |||||||
エドゥアール・ギヨー海軍大将 | ムアンマル・カッザーフィー司令官 | ||||||
被害者数 | |||||||
アメリカ空軍 F-15E 1機墜落 (パイロット両名は生存)[1] |
戦車、装甲車、テクニカル、対空ミサイル車・運搬車両、他車両合わせて1492両 軍需施設350 対空ミサイルシステム、対空砲535 複数の航空機が損壊 司令部、他施設412 発射基地16 無数の兵士[2] | ||||||
民間人の犠牲者数は不明* | |||||||
*リビア政府は64–90人の民間人が死亡し150人が負傷したと主張。[3]アメリカ軍は否定。[4] |
3月12日にアラブ連盟は国際連合安全保障理事会に対し、リビア上空に飛行禁止空域を設定するよう要請を行った[7]。この要請を受けて3月15日、レバノン[8]のナワーフ・サラーム国連大使は、イギリスとフランスの支持を得てリビア上空に飛行禁止空域を設定することや国際的な軍事介入を容認する旨を盛り込んだ決議案を上程[9]、同決議案は2日後の3月17日の理事会での採決の結果、賛成10票・反対0票・棄権5票の賛成多数で採択された。この採択された決議案が、今回の軍事介入の根拠である「安保理決議1973」である。安保理では、常任理事国5カ国のうち1カ国でも反対すると決議はできないことになっているが、今回は当初軍事介入に消極的・反対の姿勢を示していたアメリカが賛成に回ったほか、同じく否定的だったロシアと中国が棄権に回ったことで採択が実現した。また、ロシアと中国以外には非常任理事国であるブラジル、インド、ドイツの3カ国も棄権している。棄権した5カ国のうち、ブラジル・ロシア・インド・中国の4カ国については独立国への軍事介入を忌避するという理由で、ドイツについては如何なる軍事介入にも自国は参加しない意思表示のために棄権を選択したとされている[10][11]。
英仏両国は喫緊の問題として反カダフィ勢力を支援する意向を述べたが、参加国の全リストとその役割についてはまだ指定されず、そしてレバノンとアメリカ合衆国は決議を支持した[12]。
3月18日にリビアのムーサ・クーサ対外連絡・国際協力書記(外相に相当)は、国連決議を考慮して即時停戦を宣言した[13]。しかし、ミスラタとアジュダービヤーでの砲撃は継続し政府軍部隊はベンガジに接近し続けていた[14]。3月19日には政府軍戦車部隊はベンガジ市内に突入[15]砲迫による攻撃は市街地にも実施され、市街地上空を飛行していた戦闘機が撃墜される激戦が展開されていた[16]。
国連決議はリビア地上軍に対する空爆と一般市民に脅威を与えている「軍艦」への攻撃を許可した[17]。3月19日にイギリス海軍はリビア海上封鎖のためフランス航空機と共に飛行禁止空域の実施を開始する[18]。フランス軍戦闘機はリビア軍戦車に対する空爆を実施。最終的には米空母「CVN-65 エンタープライズ」と仏空母「R 91 シャルル・ド・ゴール」が沖合に展開して実施部隊に即応能力を提供する。また、アメリカ合衆国軍は3月19日にオデッセイの夜明け作戦を発動した。この作戦では、参加部隊はリビアを管轄下に置く統合軍であるアフリカ軍のカーター・ハム司令官(陸軍大将)の指揮下に入り、戦術面での指揮は在欧・在アフリカ海軍司令官のサミュエル・ロックリア海軍大将が指揮を執る。作戦の経過について、ウィリアム・ゴートニー統合参謀本部事務局長(海軍中将)は第一次攻撃として米英軍艦から114発のトマホーク巡航ミサイルをリビアの防空組織を目標に発射したと伝えた[19]。
3月24日にNATOはアメリカ軍から作戦指揮権を移譲され、3月27日の大使会合で空爆を含む全作戦を指揮下に置く決定を下す。指揮権のNATOへの移譲はアメリカ主導のNATOが全面に出ることをフランスが反対していたが、指揮命令系統の混乱を避けたい参加各国の要望とノルウェーは指揮権移譲を参加条件としており、作戦指揮権はNATOに一本化される。空域の維持には空中警戒管制機、給油機および戦闘機など1日あたり数十機が必要とされ、NATO加盟国10カ国が参加し、非加盟国であるカタールとアラブ首長国連邦も参加する多国籍軍作戦となっている。NATOへの指揮権移譲後は、全体の指揮は欧州連合軍最高司令官(NATO軍最高司令官)であるジェイムズ・スタヴリディス海軍大将(アメリカ海軍)が執ることになり、またそれまで支援に徹していたナポリ統連合軍司令部が作戦指揮を担当することとなった[20]。
北大西洋条約機構は飛行禁止空域を実施するため2月後半から3月前半にかけて作戦計画を立案する[21]。特にNATO加盟国のイギリスとフランスが結ばれ主導的役割を形成する[22]。英仏両国は当初から飛行禁止空域を支持しており、規制活動を実施するに十分なエアパワーを有しているが、追加支援のためより広範囲の展開を必要としていた。
アメリカ合衆国は飛行禁止空域の強化するに必要なエアパワー資産を有するが、リビアへの主権侵害の虞があるとして法的基盤を確立してから介入すべきとした。また、アラブ地域への米軍介入となるため繊細な問題を有していたため、アメリカはアラブ各国に規制作戦への参加を求めた。
アメリカのロバート・ゲーツ国防長官は公聴会にてこの点について、「飛行禁止空域は防空体制を撃破するためリビア国土への攻撃から開始される・・・。そして、リビア領空全域に航空機を展開させるが、銃殺されている人々を(直接)救うことは出来ない。しかしこれが(間接的に)救う最初の手立てとなるであろう。」と説明している[23]。
3月19日にリビア上空に展開していたフランス空軍機が攻撃の口火を切った[24]。他の国はそれぞれ個々の作戦を開始した。
2011年3月19日1600GMT時にフランス空軍が反体制派支配下の都市を防御するためにベンガジ上空から150kmから100kmの領域に戦闘機19機を展開させたと伝えた。仏国防省スポークスマンは1645GMT時から1659GMT時にかけてフランス軍機がリビア軍の車両に対して空爆を実施しこれを破壊したと伝える[66]。
アルジャジーラによるとフランス軍機はベンガジ南西にてカダフィ軍の戦車4輌を破壊した[19]。同日、デーヴィッド・キャメロン英首相はイギリス軍機も活動中であると言明し、さらに報道ではアメリカ軍が最初の巡航ミサイルを発射した事を示唆する。CBSのデービッド・マーティンはB-2爆撃機3機がリビア国内の主要飛行場に40発の爆弾を投下するためアメリカ本土から無着陸で飛行すると報じた。さらに、同じ報道でアメリカ軍機が攻撃対象となるリビア軍地上部隊を捜索していると報じている。
アメリカ国防総省とイギリス国防省は協同で駆逐艦「USS バリー」と潜水艦「HMS トライアンフ」から少なくとも110発のトマホーク巡航ミサイルを発射したことを確認した。また内陸および沿岸部の軍事施設に対して補微修正の空爆支援が実施されている[67]。
当初、作戦参加のアメリカ軍部隊はアメリカアフリカ軍司令官カーター・ハム陸軍大将(en:Carter Ham)の指揮下におかれた。作戦の戦術指揮は在欧アメリカ海軍司令長官サミュエル・ロックリア海軍大将が地中海上で航行中の指揮艦「USS マウント・ホイットニー」艦上から実施する。ロバート・ゲイツ米国国防長官は数日の内に作戦統制権がフランスおよびイギリスの指揮当局またはNATOに移管されると伝える[68]。
2011年3月20日にはストーム・シャドウ巡航ミサイル数発がイギリス軍機から発射された[69]。アメリカ軍機19機も空爆を実施した。アメリカ軍機は海兵隊のハリアー短距離離着陸戦闘機、空軍のB-2爆撃機、F-15戦闘機およびF-16戦闘機が参加している[70]。カダフィ軍の地上部隊車列は数回の空爆によって撃破されている。70台近くの車両とその乗車兵が同時に撃破されていることが知られる。
デンマーク空軍のF-16戦闘機4機が5時間の飛行後イタリアのシニョネッラ航空基地に帰還し、「非常に危険な任務である」であると報道官は述べた[71]。その後、イタリア空軍のトーネード攻撃機3機がトラーパニ航空基地から離陸する[72]。3月18日に即時停戦宣言ののち、3月20日2100時からリビア軍によって新たな停戦が宣言される[73]。SA-2、SA-3およびSA-5地対空ミサイルの移動式以外と固定対空火砲の多くは破壊され、残る脅威は携帯式地対空ミサイルやSA-6およびSA-5移動式地対空ミサイルシステムなどとなっている[74]。
リビア政府は軍事施設の防衛にために人間の盾の使用を認めた。カダフィ大佐の居住地の一つとみなされるバブ・エル=アジジア(Bab al-Azizia)の居住区は3月20日夜半から3月21日早朝にかけて破壊される[75]。
3月26日夜、フランス軍機はミスラタのカダフィ政府軍に対して空爆を実施、戦闘機5機、戦闘ヘリコプター2機を破壊する。多国籍軍の戦闘機が上空を飛行している間はカダフィ政府軍の攻撃が停止していると反体制側が伝えており、飛行の抑止効果が現れている[76]。
アメリカのマイケル・マレン統合参謀本部議長(海軍大将)は「異例の複合作戦を準備する」と表明した[77]。またロバート・ゲーツ国防長官は作戦のため航空戦力がリビアとその付近に展開する必要があると述べているほか、NATOのアナス・フォー・ラスムセン事務総長もその必要性を強調している[78]。
戦略予算評価センターによると、飛行禁止空域を維持するためのコストについては、アメリカ国防総省シンクタンクのシナリオの下では1週間あたり3億米ドル程度と試算されているという[79]。
この軍事介入について、元アメリカ空軍参謀総長のメリル・マクピーク退役空軍大将は「この軍事問題が簡単に解決するとは想像できない」として、カダフィ勢力支配地域の上空に飛行を集中するよう提案した。つまりリビアの防空システムを破壊して脅威を除去する攻撃を必要とする[80]。
NATOによる軍事介入は抵抗を続けるカダフィ勢力を追い詰め、8月23日に反政府勢力は首都トリポリを陥落させる。カダフィは10月20日に死亡し、その後採択された国際連合安全保障理事会決議2016により理事会決議1970及び1973で規定された軍事介入は10月31日をもって終了することが決議された。これに伴いリビア飛行禁止区域も解除された[6]。
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