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リトアニア・ソビエト社会主義共和国の国旗は1940年に最初に制定され、その後1953年に改定されたものが1988年まで使用された。
1940年8月25日にリトアニア・ソビエト社会主義共和国人民セイマス臨時会議が採択した最初のリトアニア共和国憲法では、国旗についてその第117条で次のように定められている[1]。
翌9月27日、リトアニア共和国最高会議幹部会令により、憲法に基づいて制作された国旗が、国章とともに承認された[1]。
1953年7月15日、「リトアニアSSRの国旗について」の最高会議幹部会令により、国旗に変更が加えられた[1]。
リトアニア・ソビエト社会主義共和国の国旗は、3色の水平帯からなる布である。上部は赤であり、旗の高さの12分の8を占める。中央は白であり、旗の高さの12分の1を占める。下部は緑であり、旗の高さの12分の3を占める。赤帯の左隅上部に金の鎌と槌を、その上部に金の縁取りを持つ赤い五芒星を表示する。高さに対する幅の比は1:2とする。
制作者は画家のアンタナス・ジュムイジナヴィチュスであり、デザインのモチーフは19世紀に小リトアニアで使用されていた旗である[1]。1955年10月29日には新たな最高会議幹部会令によって国旗についての細則が承認された[1]。
鎌と槌は辺長を旗の高さの4分の1とする正方形に収まる。鎌の鋭端は正方形の上辺中点に接し、鎌と槌の柄は下辺両端に接する。柄を含めた槌の長さは正方形の対角線の4分の3とする。五芒星は旗の高さの8分の1を直径とし、正方形の上辺に接する円に収まる。星と鎌と槌の垂直軸から旗竿までの距離は、旗の高さの3分の1とする。旗の上端から星の中心までの距離は、旗の高さの8分の1とする。
同年12月28日、リトアニア共和国閣僚会議令第612号により承認された「リトアニアSSRの国旗に関する規則の適用に関する指針」は、次のように定めている[1]。
リトアニアSSRの国旗の高さは1メートル、幅は2メートル、旗竿の長さは3.4メートルでなければならない。旗の大きさは異なっても構わないが、いかなる場合でも旗の縦横比は1:2でなければならず、旗の幅と旗竿の長さの比は1:1.7でなければならない。
1978年4月20日に採択された新憲法の新憲法の第168条では、国旗の裏面には五芒星と鎌と槌を表示しないことが定められ、1981年4月29日の最高会議幹部会令では、国旗は内陸輸送船の船尾旗、およびリトアニア共和国高官の搭乗した船の公式旗としても使用されることが定められた[1]。
その後、ペレストロイカ時代の1988年11月18日に第11期最高会議第10回会議第3回会合において、リトアニア共和国憲法第168条および第169条の改訂が満場一致で可決された[1]。これにより、1940年当時の国旗と国歌が復活した[1]。
そして、最高会議は1989年5月26日にリトアニアの国家主権宣言を採択し、1990年3月11日にはリトアニア・ソビエト社会主義共和国憲法の停止とリトアニアのソ連からの脱退を宣言した[1]。
ロシア革命期にリトアニアのボリシェヴィキ政権「リトアニア・ソビエト社会主義共和国」が白ロシア社会主義ソビエト共和国と合併して短期間存在した「リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国」(リトベル共和国)の国旗は、非公式に赤旗と考えられていた[2]。
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