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イタリアの都市 ウィキペディアから
ラクイラ(イタリア語: L'Aquila ( 音声ファイル))は、イタリア共和国中部にある都市で、その周辺地域を含む人口約6万9000人の基礎自治体(コムーネ)。アブルッツォ州の州都で、ラクイラ県の県都でもある。
ラクイラ L'Aquila | |||
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Piazza del Duomo(2007年8月) | |||
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行政 | |||
国 | イタリア | ||
州 | アブルッツォ | ||
県/大都市 | ラクイラ | ||
CAP(郵便番号) | 67100 | ||
市外局番 | 0862 | ||
ISTATコード | 066049 | ||
識別コード | A345 | ||
分離集落 | #分離集落参照 | ||
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 | ||
地震分類 | zona 1 (sismicità alta) | ||
気候分類 | zona E, 2514 GG | ||
公式サイト | リンク | ||
人口 | |||
人口 | 69,439 [1] 人 (2018-01-01) | ||
人口密度 | 148.7 人/km2 | ||
文化 | |||
住民の呼称 | aquilani | ||
守護聖人 | San Massimo d'Aveia | ||
祝祭日 | 6月10日 | ||
地理 | |||
座標 | 北緯42度21分14.43秒 東経13度23分31.17秒 | ||
標高 | 714 (575 - 2635) [2] m | ||
面積 | 466.96 [3] km2 | ||
ラクイラ県におけるコムーネの領域 | |||
ポータル イタリア |
ラクイラはアペニン山脈の盆地にできた標高714メートルの都市で、イタリアの州都としては最も高い位置にある。
また、ラクイラ大学など学問の街としても知られている。
2009年4月には、ラクイラ地震(イタリア中部地震)による大きな被害を受けた。同年7月、復興支援を取り付ける意味合いからラクイラで主要国首脳会議(サミット)が開催された。
ラクイラ県北部に位置する。
隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のRIはリエーティ県(ラツィオ州)、TEはテーラモ県所属を示す。
1254年に都市として創建され、当時の名はアクイラ(Aquila, ワシの意)といった。都市の勅許はシチリア王コッラード1世(皇帝コンラート4世)によって与えられた。1861年からアクイラ・デッリ・アブルッツィと称し、1939年から現在の名称となった。
市はこの土地にあった多くの村の連合によって創建された。地元の伝説では99の村が集まったという。それぞれの村は都市の中に自分の区画をもち、母胎となった村と結ばれていた。中世以来シチリア王国、後にはナポリ王国の支配を受ける自治都市であったが、短期間教皇領となったこともある。
シチリア王国中、パレルモに次いで2番目に勢力があり、経済的にも繁栄した都市であったが、16世紀に衰えた。
ラクイラはイタリアの中でも地震の多い場所で、1703年に起きた地震が最も壊滅的なものだった。 [4]この地震では3700人から10000人といわれる人が命を落とし、ラクイラに残る多くの歴史的建造物(コッレマッジョ大聖堂など)に大きな被害を出した。[5][6]また、この地震により、市の中心部に位置するSanta Maria del Suffragio教会の建築がはじめられた。[7] 2009年4月6日のラクイラ地震で大きな被害を受け308人の死者が出た。そこで、イタリア政府は国際的な被災地支援を狙い、同年7月に同国がホスト国となる主要国首脳会議の開催地を地中海の保養地ラ・マッダレーナから急遽ラクイラに変更した[8][9]。
ラクイラの主な分離集落(フラツィオーネ)は以下の通り。
今日、ラクイラは観光地となっている。主な観光地は、ロマネスク様式のコッレマッジョ大聖堂(ここで教皇ケレスティヌス5世は戴冠し、また葬られた)やルネサンス様式のサン・ベルナルディーノ聖堂、中世に作られた99の水管を持つ99の噴水、16世紀に建てられたスペイン様式の城砦であるスペイン要塞などである。そしてラクイラの母胎となった数々の村が主要な観光資源である。
ラクイラでは、ラクイラ方言it:Dialetto_aquilanoが話されている。 話者は、ラクイラ周辺およびラツィオ州リエーティなどに約10万人いるとされる。