Loading AI tools
ウィキペディアから
パパイラス(Papyrus、1920年 - 1941年)は、イギリスで競走生活を送ったサラブレッドの競走馬、および種牡馬。1923年にダービーステークスを優勝し、アメリカ合衆国のケンタッキーダービー馬とマッチレースで対決した。馬名はパピルスの英語読み。
2歳になった1922年に競走馬としてデビューし、同年にステークス競走を含む6勝を挙げた。3歳時にはスティーヴ・ドノヒュー騎乗のもとでダービーステークスに出走し、ファロスを下して優勝した。同年はセントレジャーステークスでもトランキールの2着に入っている。
この年の9月、パパイラスとアメリカのダービーに相当するケンタッキーダービー優勝馬ゼヴとのマッチレース(ベルモントパーク競馬場・ダート1マイル1/2)が組まれた。この競走はイギリス・アメリカのダービー馬2頭の対決として大いに注目を集めた。この遠征に際して、パパイラス陣営はドノヒューと調教師、さらに馬丁2人が付き添って乗船し、さらに特別に調整された飼料、帯同馬、そして厩舎の猫も一緒に連れて行った[1]。
対決の場となった当日のベルモントパーク競馬場は不良馬場で、しかもパパイラスにとっては初となるダートコースでの競馬であった。不慣れな環境であったほか、レース中はゼヴの蹴り上げた泥にひるんで前に行けなくなり、勝ったゼヴから5馬身離されてレースを終えた。
イギリス帰国後、パパイラスは大競走での優勝こそなかったが、エクリプスステークスやジョッキークラブステークスで2着に入っている。4歳になった1924年に引退した。
引退後は種牡馬となったが、産駒はあまり走らず、ほとんど成功できなかった。しかし繁殖入りしてから功績を挙げた産駒もおり、その代表に1926年生のオシリス[注 1]がいる。同馬はウッドコートステークスなどの勝ち馬で、アメリカに輸出されたあとにカナダのリーディングサイアーを4回獲得した。また、フランスでシャンティイ大賞などに勝ったコスキラ(1933年生)は繁殖牝馬としてプリンスキロ(北アメリカリーディングサイアー7回)を産んでいる。
※当時はグレード制未導入
Papyrusの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | エクリプス系 |
[§ 2] | ||
父 Tracery 1909 黒鹿毛 アメリカ |
父の父 Rock Sand1900 黒鹿毛 イギリス |
Sainfoin | Springfield | |
Sanda | ||||
Roquebrune | St. Simon | |||
St. Marguerite | ||||
父の母 Topiary1901 黒鹿毛 イギリス |
Orme | Ormonde | ||
Angelica | ||||
Plaisanterie | Wellingtonia | |||
Poetess | ||||
母 Miss Matty 1914 黒鹿毛 イギリス |
Marcovil 1903 栗毛 イギリス |
Marco | Barcaldine | |
Novitiate | ||||
Lady Villikins | Hagioscope | |||
Dinah | ||||
母の母 Simonath1905 鹿毛 イギリス |
St. Simon | Galopin | ||
St. Angela | ||||
Philomath | Philammon | |||
Chrysalis | ||||
母系(F-No.) | 16号族(FN:16-f) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | St. Simon・Angelica 4×4×3 = 25.00%、Hermit 5×5×5 = 9.38%、Solon 5×5 = 6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.