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パトリセ・エメリー・トロボアダ(ポルトガル語: Patrice Emery Trovoada、1962年3月18日 - )は、サントメ・プリンシペの政治家。現在、4度目の同国首相を務めている。2008年と2010年から2012年、2014年から2018年にも首相を務めたほか、外務大臣も務めた。
パトリセ・トロボアダ Patrice Trovoada | |
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パトリセ・トロボアダ(2012年) | |
生年月日 | 1962年3月18日(62歳) |
出生地 | ガボン |
所属政党 | 独立民主行動 |
第18・20・22・24代 サントメ・プリンシペ民主共和国首相 | |
在任期間 | 2008年2月14日 - 2008年6月22日 |
元首 | フラディッケ・デ・メネゼス |
在任期間 | 2010年8月14日 - 2012年12月12日 |
元首 | フラディッケ・デ・メネゼス |
在任期間 | 2014年11月29日 - 2018年12月3日 |
元首 |
マヌエル・ピント・ダ・コスタ エバリスト・カルバリョ |
在任期間 | 2022年11月11日 - 現職 |
元首 | カルロス・ビラ・ノヴァ |
父は1991年から2001年まで首相を務めたミゲル・トロボアダ[1]で、コンゴ民主共和国の初代首相、パトリス・ルムンバにちなんで名づけられた。2001年9月から2002年2月4日まで外相を務め[2]、その後はフラディッケ・デ・メネゼス大統領の石油顧問を務めたが「自らの地位を悪用し、私的な利益を生み出している」として2005年5月に罷免された[3]。
現在は独立民主行動(ADI)の幹事長を務める[1]。2006年7月の大統領選に立候補し、対抗馬の本命と目されたが得票率は38.82%に留まり、現職のメネゼスに敗れた[4]。2008年2月14日にトメ・ベラ・クルス首相が辞任すると、メネゼス大統領から首相に指名された[5] 。同年3月4日にはガボンを手短に公式訪問した[6]。しかし、発足からわずか3ヶ月の5月20日、国会に野党のサントメ・プリンシペ解放運動社会民主党(MLSTP/PSD)から問責決議案が提出された[7][8]。決議案は賛成30票、反対23票、棄権2票で可決され[8]、トロボアダ内閣は総辞職。その翌月にメネゼス大統領がMLSTP/PSDに組閣を要請し、ジョアキン・ラファエル・ブランコ党首を首班とする新内閣が発足した[9]。
その後、2010年の議会選で首相に復帰したが、国会での過半数を失い、2012年12月12日に政権を降りた。2014年11月29日に3度目の首相に就任し、2018年の議会選でADIは第1党を守ったものの過半数を割り込み、野党連合に政権を奪われることとなった[10]。
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