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タイの県 ウィキペディアから
パッターニー県(パッターニーけん、タイ語: จังหวัดปัตตานี、マレー語: Patani、ジャウィ文字: ڤطاني)は、タイ王国南部(深南部)の県(チャンワット)の一つである。ナラーティワート県、ヤラー県、ソンクラー県と接する。
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国 | タイ王国 |
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県庁所在地 | ムアンパッターニー郡 |
面積 | 1,940.356 km² |
人口 | 678,838 人 (2013年) |
人口密度 | 349.85 人/km² |
ISO 3166-2 | TH-94 |
マレー半島北部・タイ南部には古くはヒンドゥー教を国教とするランカスカ王国(2世紀 - 14世紀)が栄えていた。
13世紀、ランカスカ王国がシュリーヴィジャヤ王国の属国となり、スマトラ島のパレンバンへ遷都した際に、パッタニーに独立王朝のパタニ王国(14世紀/1516年 - 1902年)が成立した。1516年にはポルトガル人の探検家ゴディーニョ・デ・エレディアがパタニを訪れたことから、西洋史では1516年に発見されたことになっている。
パタニ王国は、スコータイ王朝、アユタヤー王朝、チャックリー王朝と朝貢関係にあったが、1770年頃、ソンクラーを拠点にシャム軍が侵略して属国とした。バンコク王朝のチャックリー改革により半独立状態になっていたパタニ王国は廃止され、大英帝国との協定によってパッターニーはマレー人が多く住みながらも、タイの一部となった。
県章にデザインされている大砲はパタニ王国の官吏・林道乾によって制作されたパヤー・ターニー(マレー語ではスリ・パタニ)である。以前パッターニーに設置されていたものであるが、1785年(タイ仏暦2328年)、バンコクに移された。現在防衛省本部の庁舎前に飾ってある。(大砲の詳細はラージャ・ビルを参照のこと。)
県花はハイビスカス(Hibiscus rosa-sinensis)、県木はタキアン(Hopea odorata)。
パッターニー県は12の郡(アンプー)があり、その下に115の町(タンボン)と、642の村(ムーバーン)がある。
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