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『トーキング・ヘッド』(Talking Head)は、1992年の日本映画。
超大作アニメ映画『Talking Head』の公開が間近に迫る。しかし、製作現場は納期1ヶ月前になってもシナリオさえ完成しておらず、監督も失踪してしまうという危機的状況にあった。そこで、どんな仕事も必ず完成させる演出家こと「私」が呼ばれたが、製作スタッフが次々と殺害されてゆく。果たして映画は完成するのか。
※声の出演
押井によると、本作は押井が『機動警察パトレイバー2 the Movie』の監督を引き受けることとの交換条件として制作されることになったという。また、「監督が失踪した」というシチュエーションは、押井が監督した『うる星やつら オンリー・ユー』での体験を踏まえたものであると述べている。ロケが行われたのは、山形県上山市にあった、伊藤和典の実家の映画館(トキワ館)である。美術協力として行定勲が参加している。
本作には3箇所のアニメーションパートがある。まず冒頭近くで、「私」が完成させたというアニメ映画の一シーンが登場する。この箇所は美樹本晴彦・河森正治という『超時空要塞マクロス』のメインスタッフ2人がキャラクターとメカのデザインを担当している。
次に、作画監督の登場人物が線画アニメでメッセージを伝えるパート。のちに『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビ放映最終回で線画アニメのパートが登場した際、本作のこの演出との類似が一部で話題にされたが、『エヴァンゲリオン』の監督である庵野秀明は「僕はそれ、見てないのに」[1]とコメントしている。
ラスト近くにリュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』を線画アニメに起こしたものが使用されている。
あらすじは上記の通りであるが、作中では登場人物が映画論やアニメ論を語るセリフが多く含まれており、一種の「映画論映画」でもある。押井は公開当時に販売された絵コンテ集に掲載した文章の中で、
一本の映画を撮るということは、実は同時にもう一本の〈映画〉の中でその映画を演じる事に他なりません。(中略)
映画を撮るという行為によって、逆に現実が一瞬にして〈映画〉に変貌する瞬間。
そんな〈映画〉を、それも映画として撮りあげることが出来たら、それこそ最高におもしろい映画になるに違いない…。そんな妄想に取り憑かれて久しく、駄目だよムリだムジュンだ不可能だと何度も否定しながら、諦めずにつくってしまったのが、つまりこの映画なのです。
(太字は原文ママ)と記している。登場人物たちが映画史的言及をする際に用いる言葉は、四方田犬彦の『映画はもうすぐ百歳になる』やエリック・バーナウの『魔術師と映画』の引用によるもの。
上記の通り『ラ・シオタ駅への列車の到着』のアニメーションが登場するが、このほかに劇中で試写室から人が出てくる場面は、同じくリュミエール兄弟の『工場の出口』を模したものだと押井は同人誌のインタビューで述べている。
登場するアニメスタッフの名前には実在のアニメーション関係者をもじったものが含まれている。
本編のパラレルワールドに位置する長編オリジナルドラマCD『ゲーデルを夢見て~録音監督1993年』がある。
2003年2月に発売されたDVD-BOX「押井守シネマ・トリロジー 初期実写作品集」に収録されている。単体版は2010年4月にリリースされた。
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