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スペインのサッカークラブ ウィキペディアから
デポルティーボ・アラベス, S.A.D.(Deportivo Alavés, S.A.D., スペイン語発音: [deporˈtiβo alaˈβes])は、スペイン・バスク州ビトリア=ガステイスに本拠地を置くサッカークラブ。2023-24シーズンからプリメーラ・ディビシオンに所属している。
1921年に創設され、8年後の1929年にリーガ・エスパニョーラ(全国選手権)が創設されるとセグンダ・ディビシオン(2部)の初代メンバーとなった。2シーズン目の1929-30シーズンにはセグンダ・ディビシオンで優勝し、プリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格。1930-31シーズンからの3シーズンをトップリーグで過ごした。その後はセグンダ・ディビシオンやテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)でプレーしていたが、1953-54シーズンのセグンダ・ディビシオンで優勝して24年ぶりにプリメーラ・ディビシオンに昇格した。1950年代後半からは再び2部以下のカテゴリーで過ごし、1970-71シーズンにはディビシオネス・レヒオナレス(当時4部相当、地域リーグ)落ちも経験した。1973-74シーズン、勝てばセグンダ昇格という試合でヘタフェCFと対戦したアラベスは3-1で勝利し、5シーズンぶりの2部復帰を決めた[1]。
1992-93シーズンと1993-94シーズンにはセグンダ・ディビシオンB(1977年創設、現3部相当)で2シーズン連続優勝し、1994-95シーズンには13シーズンぶりにセグンダ・ディビシオンに在籍すると、1997-98シーズンにはマネ監督の指揮下、セグンダ・ディビシオンで優勝して42年ぶりのトップリーグに返り咲いた。1995年には、子どものサポーターが使い古したおもちゃを持ち寄ってアフリカの子どもたちに寄贈するという「小さなサンタ計画」をスタートさせ、クラブ規模で児童支援を行っている[2]。1999-2000シーズンにはFCバルセロナに対してホーム&アウェーで2連勝し、シーズンを6位で終えてクラブ史上初の欧州カップ戦出場権を獲得した。
ルーマニア代表のコスミン・コントラやオランダ代表のジョルディ・クライフを擁し、2000-01シーズンにはUEFAカップに初出場。1回戦でガズィアンテプスポル(トルコ)を、2回戦でリールストロムSK(ノルウェー)を、3回戦でローゼンボリBK(ノルウェー)を破ると、4回戦ではインテル(イタリア)と対戦し、敵地スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで勝利するなどして勝ち上がりを決めた。準々決勝ではラージョ・バジェカーノ(スペイン)との同国対決を制し、準決勝では1.FCカイザースラウテルン(ドイツ)に2試合合計9-1で圧勝した。決勝のリヴァプールFC(イングランド)戦は開始16分で2点を先行され、前半終了時にも1-3と劣勢だったが、ハビ・モレーノが後半早々に2得点を挙げて追いつくと、72分のロビー・ファウラーの得点で再び勝ち越されたが、試合終了間際の88分にジョルディ・クライフが4-4となる同点弾を決めて試合を延長に持ち込んだ。延長では残り5分までスコアが動かなかったが、116分にデルフィ・ヘリがゴールデンゴールとなるオウンゴールを喫して4-5で敗れた[3][4]。敗れはしたものの、この試合はUEFAカップ史上屈指の決勝に数えられている[5]。スペイン勢はベスト8に4クラブ(アラベス、FCバルセロナ、セルタ・デ・ビーゴ、ラージョ)が残り、中小クラブの躍進を印象付けた。そのシーズンのリーグ戦は10位で終えたが、2002-03シーズン終了後にセグンダ・ディビシオンに降格した。
2004年にアメリカ人のディミトリ・ピーターマンがクラブを買収して大型補強に乗り出し、2004-05シーズン終了後にプリメーラ・ディビシオンに再昇格したが、わずか1シーズンでセグンダ・ディビシオンに降格した。ピーターマン会長がクラブ資金を私的に流用していたことが発覚し、裁判沙汰になった。借金は2300万ユーロ(約30億円)を超え、2007年夏にはコンクルサル法(破産法)適用を申請した。2009-10シーズンは19位に終わり、セグンダ・ディビシオンBへ降格。
2010年にセグンダBへ降格したアラベスは、その後4シーズンを3部で過ごすことになった。しかし、2012-13シーズンにセグンダB優勝を決め、4年ぶりにセグンダへ復帰した。セグンダ1年目はリーグ18位に終わるも、翌シーズンは13位、2015-16シーズンにはセグンダ優勝を果たし、2005-06シーズン以来となるプリメーラの舞台に戻ってきた。プリメーラ復帰後は毎シーズン中位以下でシーズンを終えている。
2020-21シーズン、アラベスは創設100周年を迎えた。また、これに伴いクラブのエンブレムも一新された。2021年1月23日、この日のレアル・マドリード戦でちょうど100周年ということもあって、試合開始前に小規模なセレモニーが開催され、キックオフにはレアル・マドリードとアラベス両方でプレーしたハビエル・ベラサルセが招かれた。
シーズン | リーグ戦 | コパ・デル・レイ | |||||||||
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ディビジョン | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 備考 | ||
2013-14 | セグンダ | 18位 | 42 | 13 | 12 | 17 | 57 | 57 | 51 | 3回戦敗退 | |
2014-15 | 13位 | 42 | 14 | 11 | 17 | 49 | 53 | 53 | ベスト32 | ||
2015-16 | 1位 | 42 | 21 | 12 | 9 | 49 | 35 | 75 | 昇格 | 3回戦敗退 | |
2016-17 | ラ・リーガ | 9位 | 38 | 14 | 13 | 11 | 41 | 43 | 55 | 準優勝 | |
2017-18 | 14位 | 38 | 15 | 2 | 21 | 40 | 50 | 47 | ベスト8 | ||
2018-19 | 11位 | 38 | 13 | 11 | 14 | 39 | 50 | 50 | ベスト32 | ||
2019-20 | 16位 | 38 | 10 | 9 | 19 | 34 | 59 | 39 | 1回戦敗退 | ||
2020-21 | 16位 | 38 | 9 | 11 | 18 | 36 | 57 | 38 | ベスト32 | ||
2021-22 | 20位 | 38 | 8 | 7 | 23 | 31 | 65 | 31 | 降格 | 2回戦敗退 | |
2022-23 | セグンダ | 4位 | 42 | 19 | 14 | 9 | 47 | 33 | 71 | 昇格 | ベスト16 |
2023-24 | ラリーガ | 位 | 38 |
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シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
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2000-01 | UEFAカップ | 1回戦 | ガズィアンテプスポル | 0-0 | 4-3 | 4-3 | |
2回戦 | リールストロム | 2-2 | 3-1 | 5-3 | |||
3回戦 | ローゼンボリ | 1-1 | 3-1 | 4-2 | |||
4回戦 | インテル | 3-3 | 2-0 | 5-3 | |||
準々決勝 | ラージョ・バジェカーノ | 3-0 | 1-2 | 4-2 | |||
準決勝 | カイザースラウテルン | 5-1 | 4-1 | 9-2 | |||
決勝 | リヴァプール | 4-5 (a.e.t.) | |||||
2002-03 | UEFAカップ | 1回戦 | アンカラギュジュ | 3-0 | 2-1 | 5-1 | |
2回戦 | ベシクタシュ | 1-1 | 0-1 | 1-2 |
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
役職 | 氏名 |
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監督 | ルイス・ガルシア・プラサ |
助監督 | ペドロ・ロストル |
GKコーチ | ハビエル・バルベロ |
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デポルティーボ・アラベスBは1961年に創設され、23-24シーズンはセグンダ・フェデラシオン(4部相当)に所属している。2,500人収容のエスタディオ・インスタラシオネス・デ・イバイアをホームスタジアムとしている。トップチームと同じく青色と白色の縦縞のシャツ、青色のパンツ、白色のソックスを着用する。
2007年、アメリカのユナイテッドサッカーリーグ1部(北米2部相当)にカリフォルニア・ビクトリーというクラブを立ち上げた。サンフランシスコのケザー・スタジアムをホームスタジアムとし、本家デポルティーボ・アラベスと同色のユニフォームを着用していたが、アラベスの経営陣交代によって支援が打ち切られ、同年後半にカリフォルニア・ビクトリーは解散した。
2017年5月、クロアチアのNKルデシュと10年間の業務提携を結んだ[7]。NKルデシュは2017年にクロアチア1部リーグへと初昇格したクラブであり、アラベスのリザーブチームのような形で活動する。2018年6月、両者合意の下、提携は解除された[8]。
2018年4月、リーグ・ドゥのFCソショー=モンベリアルと業務提携を結んだが[9]、数か月でこの提携は終了した[10]。
2018年6月、アラベスがNKイストラ1961の株式85%を買収し、イストラを傘下に置いた。イストラの負債約300万ユーロを肩代わりしてイストラの経営健全化に貢献すると、アラベスの若手選手やコーチをイストラに派遣した[11]。また、両者の間では原大智がイストラからアラベスへと引き抜かれている。
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