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チップ・ガナッシ・レーシング(Chip Ganassi Racing)は、アメリカ合衆国のレーシングチームの一つ。1990年に元インディカードライバーのチップ・ガナッシが設立した。本拠地はノースカロライナ州コンコード。
2024年現在はインディカー・シリーズ、WEC、IWSCに参戦している。米国の大手小売店であるターゲットが長年メインスポンサーを務めていたことで知られる。
1989年、チップ・ガナッシが共同オーナーを務めていたパトリック・レーシングの創設者、パット・パトリックの引退に伴い(後に引退は撤回)、チームの資産とマシン・エンジン契約(パトリック・レーシングはペンスキー・レーシングからシャーシーの提供を受けており、イルモアシボレーエンジンの搭載もセットで契約されていた)を引き継ぐ形で1990年にチームを設立。インディカーワールドシリーズ(後のCART、チャンプカー)への参戦を開始。1996年には、ジミー・バッサー、1997年・1998年にはアレックス・ザナルディ、1999年にはファン・パブロ・モントーヤが同チームでシリーズチャンピオンを獲得するなど、チャンプカーの強豪チームとして成功を収めたが、2002年にチャンプカーのエンジンレギュレーションを巡る混乱でトヨタ・ホンダが相次いでインディカー・シリーズ(IRL)に移籍した際に、それに追随する形でチャンプカーから撤退した。
インディカー・シリーズには2000年からインディ500のみ参戦していたが、2002年より試験的にシーズンエントリーを開始し、2003年にそれまでチャンプカーに参戦していた主力がチームごとインディカー・シリーズに移籍して本格的な活動をスタート。2003年、2008年、2013年、2015年にスコット・ディクソンが、2009年から2011年にダリオ・フランキッティがシリーズチャンピオンを獲得している。2014年現在は、チーム・ペンスキー、アンドレッティ・オートスポーツと並ぶ、インディカー・シリーズにおける「3強」の一角を占めている。2011年にはファクトリーを増設しこれまでの2台体制から一気に4台体制になった。
2013年7月7日、24年ぶりに開催されたポコノ・インディ400レースにおいて、スコット・ディクソン、チャーリー・キンボール、ダリオ・フランキッティにより、チーム初となる1-2-3フィニッシュを達成。また、この勝利は、ディクソンの通算30勝目(歴代10位)、ツーリングカーやNASCAR等を含めたターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング通算100勝目、エンジンサプライヤーであるホンダのインディ通算200勝目であり、記録ずくめの週末となった[1][2][3]。
ターゲットはディクソンとフランキッティのスポンサーを務めるが、他にもグラハム・レイホールにはオーストラリアのサービスセントラル社、キンボールにはデンマークのノボノルディスク[注 1]、NTTデータ[注 2]がスポンサーについている。
2018年から再び2台体制に縮小。キンボールとマックス・チルトン、トニー・カナーンの3人はチームから離脱。ディクソンは残留し、2017年のインディカー・ルーキー・オブ・ザ・イヤーのエド・ジョーンズがデイル・コイン・レーシングから移籍加入した。また、ディクソンのプライマリースポンサーにPNCバンクが新たに就任した。
2019年にはディクソンのチームメイトとしてフェリックス・ローゼンクヴィストが2年間在籍し、2023年現在はアレックス・パロウが10号車をドライブしている。
このほか、元F1ドライバーのマーカス・エリクソンが2020年に加入。車番は8を使用し、プライマリースポンサーにはハスキー・チョコレートが就任した。
NASCARには2001年に、中堅チームの「チーム・サブコ(Team SABCO)」を買収する形で参戦を開始。2006年にはF1のマクラーレンを離脱したモントーヤを自チームよりNASCARに参戦させているほか、2008年には前年のIRLチャンプであるダリオ・フランキッティがNASCAR転向と同時に同チームに移籍してきた。ただ、ロードコースでこそモントーヤが2007年に1勝を挙げているものの、オーバルレースではあまりいいところがなく、フランキッティは1年限りでIRLへ復帰するなど、苦戦を強いられた。
2009年から2013年まではデイル・アーンハートが立ち上げたNASCARの名門チーム「デイル・アーンハート・インク」と合併し、「アーンハート・ガナッシ・レーシング(Earnhardt-Ganassi Racing)」としてNASCARに参戦していたが、2014年からは再びチップ・ガナッシ・レーシングとして参戦している。
2017年は日系4世であるカイル・ミヤタ・ラーソンがシボレー勢の中で圧倒的な速さを見せプレーオフ進出を果たしているが、チーム初の栄冠には届かなかった。
グランダムのロレックス・スポーツカーシリーズに、レクサスのセミワークスとして参戦。シャシーはライリー・テクノロジーズのデイトナ・プロトタイプで、2006~2008年のデイトナ24時間を3連覇。2008年は選手権も制覇した。2010年はレクサスの撤退によりBMWエンジンにスイッチ、12戦中9勝を挙げて再びチャンピオンとなった。2011年には4度目のデイトナ優勝を果たしている。
2014年にはロレックス・スポーツカーシリーズがアメリカン・ル・マン・シリーズと統合されて開幕した、USCC(ユナイテッド・スポーツカー選手権)にライリー・フォードのデイトナプロトタイプで参戦。2015年のデイトナ24時間で、日系4世のカイル・ラーソンらがドライブして総合優勝した。
2016年からはフォード・GTを運用し、マルチマティックとのジョイントによりWEC(FIA 世界耐久選手権)のLM-GTEプロクラス、USCCのGTLMクラスへ、フォードのワークスとして参戦した。なお北米でのチーム名は「フォード・チップ・ガナッシ・レーシング[注 3]、WECでは「フォード・チップ・ガナッシ・チームUK」と異なる。また、両チームはル・マンおよびデイトナで別チームとしてエントリーしている。2016年のル・マン24時間では、フォードのル・マン初制覇50周年記念のクラス優勝を果たした。
2021年のウェザーテック・スポーツカー選手権に、2015年以来となるトップクラスのDPi(デイトナ・プロトタイプ・インターナショナル)へ復帰。マシンは、キャデラック・DPi-V.Rを使用した[4]。
2023年、IMSA、WECに参戦可能となったLMDh規定のキャデラック・Vシリーズ.Rで参戦するキャデラック・レーシングの運営を務める[5]。しかし、2024年シーズンをもってキャデラックとの提携を終了することを発表した。
もともとは2輪のAMAスーパークロスへ参戦する計画であったが、これを変更して2014年の終盤からフォード・フィエスタでグローバル・ラリークロスに参戦。2015年と2016年の2年のみフル参戦し、2度の勝利とドライバーズランキング最高3位を獲得した。
チームが創立されて以来、長らく大手小売業社のターゲットとスポンサー契約を結んでいた。ターゲット社内では、ターゲット・レーシング・プロジェクトと呼称され、対象のマシンやメカニックの制服は同社のイメージカラーである赤に塗られ(スペシャルカラー時は別色になる)、白色でブルズアイ(ダーツボードの中心のこと)が描かれる[2]他、同チームのイベントや優勝時には、ターゲットのマスコットである犬のブルズアイ(通称「ターゲット犬」。ブルテリアの左目にブルズアイが描いてあり、Bull TerrierとBullseyeを掛けている。)が登場するなど[6]、非常に良好なパートナーシップとして知られていた。
しかし2015年にUSCC、2016年インディカ―、翌2017年シーズンにはNASCARでのスポンサー契約も終了して関係は途切れることとなった[7]。
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