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スペインの海軍 ウィキペディアから
スペイン海軍(スペインかいぐん、スペイン語:Armada Española)は、スペインの海軍。近世の無敵艦隊時代をも含む長い歴史を有し、現在は軽空母を旗艦とした艦隊を保持している。
スペイン海軍 | |
---|---|
Armada Española | |
エンブレム[1] | |
創設 | 15世紀 |
国籍 | スペイン |
兵科 | 海軍 |
兵力 |
24,224名 (2022年)[2] 176隻の艦艇[3] 65機の作戦機[4] |
上級部隊 | スペイン軍 |
基地 |
本部:
主な海軍基地:
|
行進曲 | Himno de la Escuela Naval (José María Pemán) |
記念日 | 6月16日 |
ウェブサイト |
www |
指揮 | |
最高司令官 | フェリペ6世 |
海軍参謀総長 | カルロス・マルティネス・メレロ・イ・ディアス・ミランダ提督(暫定) |
識別 | |
船首旗 | |
軍艦旗 | |
スペイン海軍の始まりは、スペインの元となった2つの国、アラゴン王国とカスティーリャ王国の海軍に遡る。両国は地中海をめぐる海上交易で栄えており、それを保護するための海軍を備えていた。しかしながら両国はレコンキスタの最中で大きな海軍を運用・展開することはできない状態であった。
1492年にレコンキスタが完了すると、スペイン海軍は輝かしい大航海時代に入ることとなった。その最初の例はクリストーバル・コロンによるアメリカ大陸の発見である。このカラベル船とキャラック船による3隻の船団が、強大な無敵艦隊の魁となった。アメリカ大陸の発見後、エルナン・コルテスやペドロ・デ・アルバラード、フランシスコ・ピサーロがコンキスタドールとして新大陸を征服し、多大な富をスペインにもたらした。その富は海軍を増強するためにも用いられるようになる。
1571年、アルバロ・デ・バサン率いるスペイン海軍はオスマン帝国海軍とレパントの海戦を戦い、ヴェネツィア海軍や教皇軍とともに、強大なオスマン帝国と対峙した。この戦いで大砲を積んだガレアス船を用いた連合軍が勝利し、地中海における安全を確保した。しかし、この戦いで海上の覇権を握るには至らなかった。この後、新大陸からの富を得たスペイン海軍は無敵艦隊と恐れられるようになる。1588年、スペイン海軍はイギリス海軍とのアルマダの海戦で壊滅的打撃を被った。スペイン海軍は鈍重なガレオン船と巨砲を有する無敵艦隊で挑んだが、海賊の率いるイギリス海軍の軽快な艦隊に敗れたのである。この構図は黄海海戦でもみられる。スペインの国力そのものがこの海戦によって失われたわけではないが、やがて凋落をたどることになるスペイン海軍にとっては一大転機であるといえるであろう。
17世紀に八十年戦争でスペイン海軍は支配下にあったオランダ海軍とも1607年にジブラルタルの海戦、1639年にダウンズの海戦を戦い敗北。さらに西インド諸島の一部の支配権をイギリスに奪われた。1714年、海軍省が設置され、ジェンキンスの耳の戦争をイギリス海軍と戦う。海軍力は往時に比べると非常に劣っていたが、それでも、イギリス海軍、フランス海軍に次ぐ第三の勢力であった。
19世紀にはフランス帝国によってスペインは征服されてボルボン朝は廃され、ナポレオン・ボナパルトの兄のホセ1世(ジョゼフ)を戴くフランスの傀儡となった。スペイン海軍はフランス海軍とともにフランスの主要な海戦であるトラファルガーの海戦に参加したが、イギリス海軍に対して敗北を喫する結果となった。
スペイン独立戦争を経て、ボナパルト家の没落後はボルボン朝が復活し、艦隊の再建が進められた。1860年代にはチンチャ諸島戦争で、19世紀前半から独立していった南米旧植民地の再征服を目指したが、ペルー、チリ、ボリビア、エクアドルの同盟軍の抵抗によって南米の再征服は失敗に終わった。19世紀末の米西戦争でもアメリカ海軍との間において、フィリピンではマニラ湾海戦、キューバではサンチャゴ・デ・キューバ海戦を戦ったが、陸戦とともに新興のアメリカ合衆国に完敗した。これによって、またしても海軍は壊滅的状態に陥っただけでなく、主要な海外植民地を一挙に喪失することになる。
それでも1908年には、非効率な海軍工廠とスペイン海軍を英国資本によって再建することを目指したフェランディス海軍法案により、弩級戦艦「エスパーニャ級」を初めとして、1915年に軽巡洋艦「メンデス・ヌネス級」2隻や「アルフォンソ級」3隻を自国海軍工廠で建造するなど、着実に復活していった。また、1922年には水上機母艦「デダロ」を就役させ、海軍航空を研究した。これらの艦は1920年代に生起した第三次リーフ戦争(スペイン領モロッコでの反植民地闘争)鎮圧に積極的に投入され、1925年9月8日に行われた上陸作戦の成功に大きく寄与したと言われる。
1936年7月に生起したスペイン内戦において、スペイン海軍も共和国側とフランコ側に分裂し、双方とも大きな痛手を被って弱体化した。第二次世界大戦ではスペインは中立を保った(大戦初期には枢軸国寄り、後期には連合国寄り)ため、特に戦闘に参加することはなかったものの、戦後もファシスト政権による独裁体制が続いたスペインは戦後30年に渡ってヨーロッパ西側社会から孤立し、海軍装備は旧式化したまま使用され続けた。
フランコの死後、1978年に民政移管された後、現在では英米を中心とした世界の最新兵器を積極的に導入し、イージス艦や軽空母を運用するなど、規模は大きくないが非常に現代的で汎用性のある海軍を有している。
2007年時点で現役19,500人、予備役9,000人[5]。海軍参謀総長(AJEMA)の下で、以下のような職位・組織がある。
日本語 | スペイン語 | 画像 | NATO階級符号 | |||
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士官 | ||||||
元帥格の海軍上級大将 | Capitán General | OF-10 | ||||
海軍上級大将 | Almirante General | OF-9 | ||||
海軍大将 | Almirante | OF-8 | ||||
海軍中将 | Vice Almirante | OF-7 | ||||
海軍少将 | Contra Almirante | OF-6 | ||||
海軍大佐 | Capitán de Navío | OF-5 | ||||
海軍中佐 | Capitán de Fragata | OF-4 | ||||
海軍少佐 | Capitán de Corbeta | OF-3 | ||||
海軍大尉 | Teniente de Navío | OF-2 | ||||
海軍中尉 | Alférez de Navío | OF-1 | ||||
海軍少尉 | Alferez de Fragata | OF-1 | ||||
海軍士官候補生および志願者 | Guardiamarinas y aspirantes | OF-D | ||||
下士官および准士官 | ||||||
海軍准尉 | Subteniente | OR- | ||||
海軍兵曹長 | Suboficial Mayor | OR- | ||||
海軍上等兵曹 | Brigada | OR- | ||||
海軍一等兵曹 | Sargento Primero | OR- | ||||
海軍二等兵曹 | Sargento | OR- | ||||
兵卒 | ||||||
海軍上級伍長 | Cabo Mayor | OR- | ||||
海軍一等伍長 | Cabo Primero | OR- | ||||
海軍二等伍長 | Cabo | OR- | ||||
海軍一等水兵 | Marinero de 1ª clase | OR- | ||||
海軍二等水兵 | Marinero | OR- | ||||
海軍見習水兵 | Recluta | OR- |
2017年現在。
過去に就役した艦艇については「スペイン海軍艦艇一覧」を参照。
2016年現在。『World Air Forces 2016』より。
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