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第2代シュルーズベリー伯爵ジョン・タルボット(英語: John Talbot, 2nd Earl of Shrewsbury, KG、1413年頃 - 1460年7月10日)は、イングランドの貴族。
1413年頃、後に初代シュルーズベリー伯爵に叙せられるジョン・タルボットとその妻である第6代ファーニヴァル女男爵モード・ネヴィルの間の息子として生まれる[1][2]。
母の没年は不詳だが、母の死により第7代ファーニヴァル男爵位を継承している[3]。
1426年にレスターで開かれたバット議会の際に国王ヘンリー6世からナイト爵を与えられた[1]。1434年と1442年にはフランスで勤務[1][2]。1446年にはアイルランド大法官に就任した[1][2]。
1453年7月17日にフランス遠征に出向いていた父が百年戦争最後の戦いであるカスティヨンの戦いで戦死し、第2代シュルーズベリー伯爵位を継承した[1][2]。1454年から時折枢密院に出席するようになった[1]。1456年から1458年にかけては大蔵卿を務めた[2]。
1457年にはガーター騎士団(勲章)ナイト(KG)に叙せられた[1]。また1457年10月には鷹管理長官(master of the falcons)、1458年5月にはチーフバトラーに就任した[1][2]。
しかし薔薇戦争において1460年7月10日のノーサンプトンの戦いで国王ヘンリー6世側に立って戦ったため、敗死した[1][2]。
正確な年は不明だが、母の死により以下の爵位を継承した[3]。
1445年に第4代オーモンド伯爵ジェームズ・バトラーの娘エリザベスと結婚。彼女との間に以下の7子を儲けた[2]。
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