1907年より個人塾へ通い始め、1910年に高等女学校へ進学。1920年、アビトゥーアに合格しハイデルベルク大学に進学して美術史・社会学・中国学を専攻し、マルクス主義、社会主義にも関心を深めた。1924年「レンブラントの作品中のユダヤ人とユダヤ教」Jude und Judentum im Werk Rembrandts という論文にて博士号取得。
1932年に書かれた『道連れたち』は、これまで友人たちから聞いていたことを元にした、1919年から1929年にかけてポーランド、ハンガリー、ブルガリアでの鎮圧された革命運動家の物語だった。1933年にナチスが政権を取ると、『道連れたち』は発禁になり、ゼーガースもゲシュタポに逮捕されたが、結婚してハンガリー国籍であったため、ほどなく釈放された。この年、ドイツを去りスイスへ、後に家族と合流しフランスへ移った。1933年からはプラハで発行されていた月刊誌『ノイエ・ドイチェ・ブレッター(der Neuen Deutschen Blätter)』の編集発行者の一人となる。
戦後1947年、アメリカ合衆国、スウェーデンを経てドイツへ帰国、この間に父は1940年にマインツで死去、母はポーランドのピアスキ強制収用所で1942年に殺害されていた。先にベルリンに戻っていたベルトルト・ブレヒト夫妻の元に身を寄せた後、西ベルリンに居を構えた。同年、ゲオルク・ビューヒナー賞を受賞。10月に第1回ドイツ作家会議で、「作家と精神と自由」と題する講演を行う。1919年から1945年までのドイツの社会の動きを捉えた、メキシコ亡命中から執筆していた『死者はいつまでも若い』を完成させ、1949年に公刊。1950年、東ベルリンへ移った。1951年、ドイツ民主共和国国民賞 (Nationalpreis der DDR) を受賞。同年、中国を訪問。1951-53年に東ドイツで全8巻の全集が刊行される。1952年、ドイツ民主共和国作家連盟 (Schriftstellerverbandes der DDR) の会長に就任。1955年、現在のアンナ・ゼーガース記念館のあるアパートへ移った。ドイツではアメリカ軍によって映画『第七の十字架』は占領軍への抵抗につながることを恐れて上映禁止にされており、東ドイツでは1954年、西ドイツでは1972年まで続いた。小説版『第七の十字架』は東ドイツでは1950年頃には広く読まれるようになったが、西ドイツでは「68年世代」が現れて以降に徐々に読まれるようになった。[2]
Sowjetmenschen. Lebensbeschreibungen nach ihren Berichten. 1948年
Das Argonautenschiff. 1948年
『グアドループにおける奴隷制再導入について』Wiedereinführung der Sklaverei in Guadeloupe.1948年
『死者はいつまでも若い』Die Toten bleiben jung. 1949年
『ハイチの宴』Die Hochzeit von Haiti. 1949年
Die Linie. 1950年
Der Kesselflicker. 1950年
Crisanta. 1951年
Die Kinder. 1951年
Der Mann und sein Name. 1952年
『蜂の巣箱』Der Bienenstock. 1953年(短編集、全3巻)
Gedanken zur DDR. 1954年
『パンと塩』Brot und Salz. 1958年(短編集)
『決断』Die Entscheidung. 1959年
『絞首台に照る光』Das Licht auf dem Galgen. 1961年
『トルストイとドストエフスキー』Über Tolstoi. Über Dostojewski. 1963年(エッセイ集)
『弱者の力』Die Kraft der Schwachen. 1965年(短編集、Agathe Schweigert, Der Führer, Der Prophet, Das Schilfrohr, Wiedersehen, Das Duell, Susi, Tuomas beschenkt die Halbinsel Sorsa, Die Heimkehr des verlorenen Volkes)
「ほんとうの青色」Das wirkliche Blau. 1967年
『信頼』Das Vertrauen. 1968年
Glauben an Irdisches. 1969年
Briefe an Leser. 1970年
Über Kunstwerk und Wirklichkeit. 1970年
『渡航-ある恋の物語』Überfahrt, Eine Liebesgeschichte. 1971年
『奇妙な出会い』Sonderbare Begegnungen. 1972年(短編集、Sagen von Unirdischen, Der Treffpunkt, Die Reisebegegnung)
Steinzeit, Wiederbegegnung. 1977年
Drei Frauen aus Haiti. 1980年
「正義の判事」Der gerechte Richter. 1990年 (1957年執筆)
Mit einer Flügeltür ins Freie fliegen. 2019年(未発表の手紙やアヒム・ロッシャーとの対談集)
日本語訳
『聖バルバラの漁民一揆』(Aufstand der Fischer von St. Barbara,1928年) 道家忠道訳、集英社 1965年
de:Fritz J. Raddatz (Hrsg.): Die ZEIT-Bibliothek der 100 Bücher. Frankfurt a.M.: Suhrkamp 1980. (suhrkamp taschenbuch 645)(ISBN 3-518-37145-2 <700>)に採り入れられているが、編集者はその理由として ≫ein gültiges Dokument der antifaschistischen deutschen Literatur≪ であるからと述べている。なお、同書での Das siebte Kreuz についての解釈は396-398頁。