![cover image](https://wikiwandv2-19431.kxcdn.com/_next/image?url=https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c5/Imammaturidi.jpg/640px-Imammaturidi.jpg&w=640&q=50)
アブー・マンスール・マートゥリーディー
ウィキペディア フリーな encyclopedia
アブー・マンスール・マートゥリーディー(853年-944年)は、9-10世紀のサマルカンドで活躍した、イスラーム教スンニー派、ハナフィー法学派の法学者、神学者、聖典解釈学者。マートゥリーディーの教えを受けた弟子たちがのちに、スンニー派神学(カラーム)の正統とされるマートゥリーディー派を形成した[1]。同派の神学は中央アジアのハナフィー法学派の人々の間に浸透し、のちのイスラーム教を奉じる二大帝国、オスマン帝国とムガル帝国においても他派を圧倒する地位を得た[1]。
![Thumb image](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c5/Imammaturidi.jpg/640px-Imammaturidi.jpg)
同時代のスンニー派神学者で同じく正統派カラームの一派を形成したアシュアリー(936年没)と比較すると対照的に、マートゥリーディーはアブー・ハニーファ(772年没)の教えに忠実であった[1]。マートゥリーディーが受け継いだアブー・ハニーファの思想は、バルフやマーワラーアンナフルのウラマー(学者)により伝えられ、また、精緻化されたものであって、マートゥリーディーはそれを体系化した[1]。マートゥリーディーの神学は、ムァタズィラ派やカルマト派といったイスラーム教系分派のみならず、カルケドン公会議を受容するカルケドン派キリスト教、非カルケドン系の合性論、マルキオン派 (Marcionism) 、バル・ダイサーン派 (Bardaisan) キリスト教、あるいは、マニ教の神学者との論争においてよく主張された[2]。